「表紙」2011年09月29日[No.1383]号
那覇市首里の高台にある城南小学校を拠点に活動する「崎山ハイツ」。設立から今年で36年の由緒あるチームだ。監督を務める佐久本嘉信さんは御年72歳。設立以来、その優しいまなざしで子どもたちを見つめ続けている。
「友情」育て思い出づくり
佐久本さんが就任した時は、その時限りの臨時監督のつもりだったという。
「もともと、少年野球の強豪チームだったんです。当時、私の息子も所属してましてね。一生懸命、練習してましたねぇ。ところが、ある大会を目前にして、監督が仕事の都合で、どうしてもやめざるを得なくなって大会に出られなくなったんです。そしたら、ある日、息子が、私に監督をしてくれないか?と相談に来たんですよ」
他ならぬ息子の頼み、その大会だけと監督に就任し、チームを再発足させた佐久本さん。出場した大会が好成績だったこともあり、次の大会、次の大会までと、強豪チームとして、その名に恥じぬ成績を残してきた。だが、発足から20年ほどたった時、大きく変化する。
取り組む競技が変わったのだ。野球はもちろん、水泳、綱引き、キンボールなど、非常に多岐に渡る。ソフトボールに至っては、県代表として全国大会に11年連続出場しているほどである。
なぜ、野球に専念することをやめたのか? そこには、佐久本さんの子供たちに対する思いが大きく影響している。
「強いチームになると部員が40人を超えてくる。野球は9人でやるスポーツですから、当然、残りの31人は試合に出られない。試合に出られないなんて楽しくないでしょ?それに、野球はいまいちでも、他のことでは才能あふれる子だっている。だから、レギュラーを固定せず、皆を順番に試合に出すようにしたんですよ」
だが、その采配に異を唱える保護者もいた。
「負けたら、どうして実力で判断しないのか? だから負けるのでは? なんて親も出てきまして。これはいかんと、結果ばかり求めて親が必死になってどうするのか?誰が主人公か? と思ったんです」
大前提として、子どもが楽しみながら成長するための活動のはず、そう考えた佐久本さんは、野球連盟からの脱退を決意。子供たちがやりたいことは何でもやる複合競技のチームへと生まれ変わらせたのだ。
「まず、楽しむ」そこからすべてが始まる。佐久本さんのこの考えは、後に大きな実を結ぶ。崎山ハイツでのびのびと育った子どもたちが、児童オリンピックに出場したり、高跳びで高校生の県記録をたたき出したりするなど様々な分野で結果を出しているのだ。
「子どもの可能性は無限大にあるんです。それを、大人が決めるものじゃないと思うんですよ」
もう一つ、大切にしなさいと指導していることがある。それは「つながり」だ。この二つの信念は、団旗に大きく影響している。通常、団旗と聞けば「必勝」などと書かれたものを想像するが、崎山ハイツの団旗には「友情」、「思いでづくり」と書かれているのだ。
「業者に発注した時に、向うの方に聞き直されました(笑)。そんな言葉で作ったことが無いそうで」
また、大人には大切な役目があると佐久本さんは言う。それは、経験させること。
「子どものうちに、どれだけたくさんの経験ができるか?これは、その子の成長に大きく関わってくる。ですから、経験を積ませることは大人が果たすべき大切な役割です」
そのために取り組んでいるのが、県外チームとの交流試合だ。相手は国内にとどまらず、海を超え、台湾にも子どもたちを連れて行く。
「本当は、もっともっといろいろなところに連れて行ってあげたいんですけどねぇ。予算が無くて(笑)」
穏やかな笑顔でそう話す佐久本さん。子供たちにとってその存在は、全てを包み込み、見守ってくれる「愛」そのものなのかもしれない。
(佐野真慈)
崎山ハイツ
昭和50年設立。様々なスポーツに取り組み、ソフトボールでは、11年連続県代表の座を勝ち取っている。随時、部員募集中。
次も全国大会に出場する!