「表紙」2012年09月06日[No.1432]号
積み重ねを大切に
シーは「酸」、クヮーサーは「食べさせるもの」を意味し、古くは、固い芭蕉布を果汁で洗い、酸で柔らかくするなど食用以外の利用もなされていた。そんなシークヮーサーの里であり、芭蕉布の里でもある大宜味村に兼城さんの畑はある。「特別なことはしていません。ただ、手を抜かず丁寧に、当たり前のことを当たり前に、毎日、積み重ねていくことが大事なんです。ある意味、雑草をとるのが仕事って言えるかもしれませんね」と兼城さんは笑った。
飲食業との一体化目標
やりたいことを探し続けて今にたどり着いたと兼城さんは話す。
「高校卒業後、かなり悩みました。これから自分は何をして、どうやって生きていくのか? 何かみつかるだろうと沖縄職業能力開発短期大学に進学したんですが、結局みつからずで」
悩み続けた青年は、ついに飲食業というやりたいこと見つける。すでに26歳になっていた。すぐに上京し、飲食店で勤務し始める。
「どうせやるなら一番レベルの高い東京でと思って。まぁレベルが高いっていうのは思い込みなんですけど(笑)」
ある種、賭けだった。しかし、ここから彼の未来が開ける。自分の店を開きたいと帰郷。働きながら資金をため、準備を進めていた。そんな矢先、シークヮーサー栽培をしていた父が体調を崩してしまう。
「迷いもしましたけど、最初で最後の親孝行だと思ってやることにしたんです」
ここで改めて農業のつらさを知ったのだと兼城さんは言う。
「農業は自然との戦いですから。特に台風はダメですね。塩害もありますし、強風で根が動いてしまって、木の力が弱まるんです。そうなると収穫は期待できません。去年も大きいのが来たんで、今年の収穫量は例年の半分もいかないですよ」
ほかにもある。シークヮーサーは、毎年ゼロからのスタートではない。「木」そのものを育て続けなければならないのだ。
「どこかで手を抜くと、その影響は木が生きている限りずっと続きます。おいしい果実を実らせてもらうには、良い木であり続けてもらわなければならない。一朝一夕で変わるものじゃなくて、何年も何十年もかけて育てていくものなんです。低木化という管理作業があるんですけど、良い果実を実らせるために木をちょうどいい高さに保つ作業なんです。これが難しくて。村のシークヮーサー振興室と協力して勉強中です(笑)」
庭先にもある木だから楽だろうと思う人がいるかもしれない。だがそれは、大きな間違いだ。 苦労の絶えない農業。あくまでも手伝いとして関わったはずだったが、気がつけば5年経っていた。
「やりがいがあったし、収穫時は本当にうれしかったです。でも、それだけではなくて。飲食業で生きてきた経験を生かして、畑と店を直結すれば、もっと良いモノを提供できるんじゃないかって考えたんです。畑も料理も手を抜こうと思えばいくらでも抜けます。でも逆に苦労すればするだけおいしくなりますから。まさに、素材から手作りです(笑)」
生産だけにしばられず、自分で作ったものを、自分で調理し、食べてもらう。まさに、飲食の世界にいたからこその発想だろう。
「飲食業と農業、それに生産者と消費者を直接結ぶネットショップ。この3つの一体化を目標にこれからも日々を積み重ねていきたいですね」
目標を語る兼城さんを見るうち、やりたいことを探し続け、時には遠回りにも思えた人生も、振り返ればすべて経験という名の財産として彼の中に蓄積し、現在につながっているのだと、そう強く感じた。
佐野真慈/写真・佐野真慈
かねしろ つよし 1974年うるま市生まれ。
沖縄職業能力開発短期大学を卒業後、26歳で上京。飲食業の世界に飛び込む。その後、自分の店を開業しようと帰郷。準備を進めるなか父の体調不良で農業を手伝うことになり、農業の楽しさとやりがいを知る。現在、約1200坪の畑に植わる約200本のシークヮーサーを栽培。今後は飲食業界で生きてきた経験を生かし、農業と飲食業、ネットショップの一体化を目標に、日々まい進する。
シークヮーサーを搾ったビール
泡盛はよく知られていますが、よく冷えたビールとシークヮーサーもオススメ! 発泡酒などでもシークヮーサーを1つ、ギュッと搾ればさわやかな香りとほのかな酸味で味とノドゴシを一段階アップしてくれます。