「表紙」2014年06月19日[No.1523]号
「とぅたん!(取った)」。北中城村の大城公民館にウチナーグチが響く。楽しみながら沖縄の文化に触れてほしいと、県内各地の有名な琉歌100句で作った「琉球歌留多(かるた)」。1992年、首里城の公開にあわせて制作され、読み札は黄色い縁で彩られている。「黄色は王府時代、王様しか使えなかった高貴で最高の色なんですよ」と琉球歌留多会代表の中村啓子さん(71)は説明する。2013年、多くの要望を受け千部を再発行した。同公民館に通う子どもたちに、かるたに挑戦してもらった。
沖縄文化の入り口に
「8・8・8・6(さんぱちろく)」と呼ばれる30音で沖縄の心を詠み、古典芸能の土台になっている琉歌。恋心から豊作の喜び、人生の教訓まで先人たちのさまざまな思いが込められている。「つらね」と呼ばれる独特のリズムと抑揚をつけて読むのが特徴だ。
「琉球歌留多」を制作したのは、大城勇気さん(55)。20数年前、東京で沖縄出身の友人の家に遊びに行き、子どもたちと百人一首をやったが手が出なかった。「上の句をちょっと詠んだだけですぐ取るんです。家庭の中に文化があり沖縄出身の子だったので悔しかったです」
その後、琉歌で百人一首のようなかるたを作ることを思い付いた。古典音楽や民謡、わらべ歌など一般的に知られている歌を調査し、県内各地の歌も取り入れ、100句を選んだ。上の句が読み札。下の句は取り札にし、世代を超えて楽しめるよう聞こえてくる音声に近い平仮名で表記。1992年11月2日の首里城公開に合わせ、600部を発行した。
琉歌の奥深さに感銘
遊び方は、100枚の取り札をひろげ、一人が読み札を読み、数人で下の句を取り合う「群星(むりぶし)」と、一対一で対戦する「板干瀬(いたびし)」。競技中は「あたとーん(正解)」「てぃーばっぺー(おてつき)」などウチナーグチを使う。
琉球歌留多会の中村さんは20数年前、ウチナーグチを学びたいと講座を受講し、大城さんと「琉球歌留多」に出会った。琉歌は全く知らなかったが興味を持ち勉強を始めると、その奥深さに感銘を受けた。かるたを楽しもうと同好会も結成。「最初はつらねで読めなくて、何度も練習したんですよ」と笑う。
94年には同好会主催で第1回かるた会を開催。同年、改訂版を3千部発行した。その後、中村さんと大城さんを中心に琉球歌留多会を作り、96年には第3回を北中城村大城の国指定重要文化材「中村家住宅」で開催。首里城公園や識名園などでも会を開いた。
かるた親しむ大城集落
北中城村大城集落は、2012年まで旧正月の前後に中村家住宅で琉球かるた大会を開いていたこともあり、子どもたちはかるたに親しみがある。沖縄口(ウチナーグチ)ユンタク会(世話役・川上辰雄さん)では、2年かけてかるたの100句について学んだという。
同集落の学習支援「ちむあぐみ塾」に通う小学1年〜中学2年の子どもたち約10人に、かるた会を開いてもらった。中村さんが優しい声の抑揚で琉歌を読むと、子どもたちは意味は分からなくても真剣に耳を傾け、札を取り合った。19枚を取って優勝した安里一喜君=北中城中2年=は「何度かやったことがあり覚えている句もあった。琉歌は発音が難しく、意味は分からないけど楽しい」と話した。2位は17枚の中村海(かい)君=北中城小6年=だった。
中村さんは「琉歌は生活と共にあったもので、ウチナーンチュの心。かるたのおかげで琉球の歴史や文化、民俗思想、昔の地理まで分かるようになり、人生が豊かになりました」と強調。「かるたを通して琉歌やウチナーグチに興味を持つきっかけになってほしいですね」と期待を込める。
「とぅたん!」と黄色い声であふれた大城公民館。楽しみながら先人の心に触れた子どもたちの心の中に、ウチナー文化の種がまかれた。
豊浜由紀子/写真・喜瀬守昭(サザンウェイブ)