沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1578]

  • (木)

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「表紙」2015年07月16日[No.1578]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 16

陶房+Shop「土の種」
平良 由紀子さん 新里 僚子さん

新しい焼き物 娘と共に

 うるま市川田の「土の種」は、母と娘が営む2階建ての陶房。1階の工房で作られた作品を、2階のギャラリーで展示・販売する。並べられたカップや皿は、いずれも独特のあたたかみがあり、カップの口に大きなクラウン(王冠)をあしらうなど、大胆で楽しいアイデアも光る。これまで作品作りは母の平良由紀子さん(64)が行ってきたが、昨年から娘の新里僚子さん(36)も新たに工房に立つようになった。「工房で交わす娘との会話が新鮮。私にはない発想があり、一人では作れなかったような作品が生まれるんですよ」と由紀子さんは笑顔を見せる。



なにげない会話が刺激に

 平良由紀子さんは、陶芸とは縁のない家庭に育った。絵を描くことは好きだったが陶芸を意識したことはなく、高校卒業後、グラフィックデザインの仕事に就くため、大阪の専門学校に入学した。

 だが、そこで由紀子さんは違和感を募らせる。一つは、デザインよりも手仕事が好きだと気が付いたこと。もう一つは、「土」の存在だった。

 「大阪の硬いアスファルトの上を歩きながら、カチンカチンと脳みそに当たるような違和感がありました。その時、土を感じることが、自分にとってとても大事なものだと分かったんです」。由紀子さんは、土を相手に仕事をする陶芸家を目指すようになり、22歳で沖縄に戻ってから、4年間沖縄陶芸研究所で学んだ。

 その後、結婚して夫の暮らす東京へ。27歳で一人娘の僚子さんを出産し、子育てに専念する。しかし40歳になるころ、「このまま東京で暮らし、何もしなくてもいいのだろうか?」という迷いが生まれた。由紀子さんの心には、まきの窯で焼き物をしたいという夢があった。

 「沖縄陶芸研究所ではガス窯だったので、まき窯に憧れがあったんです」。由紀子さんは心を決め、僚子さんが中学に上がったのを機に、娘を連れ沖縄へ。読谷村の北窯で働き、夢をかなえた。



本気で陶芸に挑戦

 娘の新里僚子さんも、最初から焼き物に興味があったわけではない。「私は手先が不器用で、手仕事が苦手でした」と苦笑いする。中学から暮らし始めた沖縄の生活になじんでいた僚子さんだが、高校卒業後、ファッションの勉強をするため東京の専門学校に入学する。

 だが、僚子さんは東京で「沖縄シック」にかかってしまう。「東京には、色がないのが耐えられなかったんですよ。沖縄は、海、空、花の色であふれているのに︱」

 僚子さんは専門学校を卒業後、沖縄に戻り、2男1女を育てながら、アロマや手作りコスメの仕事に携わった。1994年に由紀子さんが独立し工房を構えてからは、広報など裏方の仕事を手伝っていたが、20歳のころ少し触れただけの陶芸にはノータッチだった。

 転機は、由紀子さんが昨年、体調を崩したことだった。「このまま工房を閉めることになったら?」。その時、一人っ子の僚子さんの胸に、「本気で焼き物を作ってみようかな」という思いが生まれたという。

母の作風も変化

 「ある日、いつの間にか娘がろくろを引いて、ポットを作っていたんですよ。びっくりしました」

 娘が初めて作ったポットが何とか形になっているのを見て「やりたい、作りたいという気持ちが一番大事なんだな、と思いましたね」と由紀子さんは言う。僚子さんが作るプレートやアクセサリーには、どこかオブジェのような魅力がある。沖縄の色をイメージしたという鮮やかな色彩も印象的だ。

 僚子さんが工房に立つようになって、由紀子さんの作る作品にも変化が訪れた。ギザギザの形をクラウン(王冠)に見立てたり、十字をプラスと言ったりするような娘のなにげない一言から、思わぬ作品が生まれることもあるという。

 お互いに違っている部分も多いという2人。それでも「きれい」や「すてき」という思いから作品作りが始まることや、どんなものをきれいと思うかという感覚は似ていると話す。「母も私も一度沖縄を離れたけど、土と色に引かれ、また戻ってきた」と僚子さんはほほ笑む。

 母と娘の工房の名前は「土の種」。2人がこね、焼き上げる土を種に、これからどんな楽しい作品が育ってくるのか楽しみだ。

(日平勝也)



プロフィール

たいら・ゆきこ
1950年生まれ。高校卒業後、大阪のグラフィックデザイン専門学校に学ぶが、故郷の沖縄を離れたことが「土」を意識するきっかけとなり、陶芸の道へ。沖縄陶芸研究所、読谷村の陶真窯、北窯を経て、1994年うるま市川田に陶房+ショップ「土の種」をオープン

しんざと・りょうこ
1978年生まれ。小学校までを東京で過ごし、中学校から母の郷里である沖縄へ。結婚後、2男1女を育てながら、アロマや手作りコスメの仕事に携る。昨年からは裏方として支えていた母の工房に自ら立つようになり、作品作りを行っている

陶房+Shop「土の種」
うるま市川田421-1
☎098-974-6078 ※不定休につき、訪問前の問い合わせがおすすめです
フェースブック
http://www.facebook.com/tsuchinotane



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土の種
陶房+Shop「土の種」の1階工房で、土をこねる作業を行う母の平良由紀子さん(右)と娘の新里僚子さん。「親子というより、世代の違う友達のような感覚」と由紀子さんは話す=うるま市川田 
写真・村山 望
土の種
慣れた手つきでろくろを回す由紀子さん。あっという間にカップの形が出来上がる
土の種
陶房2階のギャラリーには、個性的なポットやカップが並ぶ。右のカップは「ギザギザの形って、クラウン(王冠)みたいでかわいい」という僚子さんの一言がヒントになって生まれた作品
土の種
僚子さんが小学3年生のころ、沖縄の海岸で撮影した写真。東京で育った僚子さんは、由紀子さんとよく沖縄を訪れていたという
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