「表紙」2015年07月30日[No.1580]号
チムグクルで客に寄り添う
大型スーパーが増加し、商店街が減少する中、精肉店や鮮魚店、食堂などが軒を連ね、古き良き時代の商店街のたたずまいが残る那覇市の栄町市場商店街。2世代にわたり通う客も多く、よく買い物に来ていた客が久しぶりに顔を出すと、「最近、どうしたのかねと思っていたさ」と気遣う。そんな人情深い商店街で、70年前から家族で豚肉店を営む「町田精肉店」も創業時からの常連客に愛される店だ。町田直美さん(59)は、娘の花木奈津美さん(33)と肉のカットや接客・販売を親子で手際よくこなす。客との会話を楽しみ、笑いが絶えない店内。2人を慕ってくる客でにぎわう。
出会いも仕事も商店街
精肉店に嫁いだ町田直美さんは、栄町市場商店街にあった靴店で販売員をしていた。
町田精肉店の2代目、町田宗一さん(61)と出会ったのも商店街。それは意外な場所で、商店街に一カ所だけあったトイレだった。
そこで宗一さんと何度も顔を合わせていくうちに「お父さん(宗一さん)に見初められた」と直美さんは朗らかに笑う。それから23歳で結婚し、25歳で奈津美さん、27歳で宗太さん(32)を出産した。
沖縄では、豚は鳴き声以外、すべて料理に使うといわれる。店にはチラガー(顔)からテビチ(豚足)までたくさんの部位が並び、新鮮な肉を量り売りで買える。精肉店を手伝うようになった当初は、一つ一つ値段を覚えることに苦労したと直美さんは話す。
奈津美さんが幼かったころは、幼稚園の迎えの時間に合わせて自宅がある与那原町と栄町を行き来し、仕事をしながら育児と家事を両立させた。
母を支え同じ道歩む
精肉店の一日は肉の補充からカット、加工、販売まで立ち仕事が多くハードだ。正月や清明祭、盆など沖縄の行事がある時期は、朝から晩まで休む暇がないほど買い物客でごった返す。精肉店で働いていた義母が体調を崩してからは、一人で店に立つことが多くなった直美さん。ハードな生活が続き膀胱(ぼうこう)炎を患ってしまった。
夜中もつらそうにしている直美さんを見かねて、宗一さんが奈津美さんと宗太さんを呼び、母を支えるように話したという。
奈津美さんは、21歳のころから精肉店で働き始めた。客からは「肉店にはもったいない」と言われるほど、ネイルやファッションが好きで、高校時代はアパレルショップで働いていた。家には奈津美さんの衣裳部屋が一部屋分あると直美さんが話すほど、おしゃれには目がない。
将来はスタイリストを目指し、専門学校に進学を考えていた時期もあったが、母を支えるためにも精肉店で働くことを選んだ。それから21歳で結婚、23歳で直斗君(10)を出産した。
今度は奈津美さんが直美さんと同じように仕事と育児を両立させている。
新しい豚肉料理を提案
奈津美さんたちが精肉店で働くようになったことで、家族で夕食当番を決め、新しい豚肉料理も考案するようになった。
最近の直美さんのおすすめは、豚の心臓を使った料理だという。「豚の心臓は長時間ボイルして食べると、おいしいですよ。それを佃煮にして食べたなど、お客さんから料理を教えてもらうこともある」と話す。
若い世代の母親が来ると現代風のレシピを奈津美さんが提案し、昔からの常連客らには、伝統的な豚肉料理や家庭料理を直美さんがアドバイスする。時には、家族のように人生相談や育児の相談をされることも多く、客からの信頼が厚い。
そして、買いに来てくれた客には、シーブン(おまけ)をつけてあげることもよくあるという。
それは「お客さんには豚肉を食べて健康になってもらいたいからね」という、他人をも気遣う優しさの表れからだ。
直美さんは「義母から教わったのは、何より『仕事はチムグクル(心)が大切』だということ。今度はそれを娘に伝えている」と話す。
仲が良く仕事中も笑顔が絶えない2人。週に1度は、親子で食事や映画を観に行ったりするなど仕事や家事の息抜きも欠かせない。
商店街を愛し、心で接客する2人だからこそ、アットホームな居心地がいい雰囲気がある。それに自然と人が集まってくるのだろう。
(当山絵理加)
プロフィール
まちだ・なおみ1956年7月15日西原町生まれ。23歳のとき町田精肉店の2代目・町田宗一さんと結婚。1男1女をもうける。県内のCMにエキストラ出演したことがある。
はなき・なつみ
1981年8月27日那覇市生まれ。高校時代、アクターズスクールに通いながらアパレルショップでアルバイトを経験。21歳から母と一緒に町田精肉店で接客・販売をする。1児の母でもある。
町田精肉店
那覇市安里388(栄町市場商店街内)
営業:9時〜18時半
定休:日曜日
☎098-885-1300
写真・喜瀬守昭(サザンウェイブ)