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[No.1641]

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「表紙」2016年10月06日[No.1641]号

父娘日和

父娘日和 27


田嘉里酒造所 代表社員 池原 弘昭さん
総務・広報 池原 文子さん

祖父の酒造所 守りたい

 「まるた」や「山原くいな」などの銘柄で知られる沖縄本島最北端の酒造所「田嘉里酒造所」。ミネラル豊富な天然水を使って丁寧に造られる泡盛は、まろやかな味わいが人気だ。酒造所の代表を務めるのは、池原弘昭さん(69)。長年教育現場に携わってきたが、二代目の父や今年急逝した三代目の弟の思いを引き継ぎ、今春から代表に就任した。幼いころから酒造所が遊び場だったという三女の文子さん(31)は、3年前から従業員として、酒造所を支えている。インターネットのブログなどで情報を発信するなど、新たな顧客層を引きつけている。



地域に支えられ66年

 大宜味村の静かな山あいにある田嘉里酒造所は、従業員7人の小さな酒造所だ。近くの山から湧き出るミネラル豊富な天然水を使用し、伝統の味を守り続けている。

 田嘉里酒造所は1949年、地域の有志たちが出資して創業した。だが、しばらくして経営難に陥ってしまう。そんな中、戦前の東京で泡盛販売店に勤務していた弘昭さんの父、三郎さんに経営再建の白羽の矢が立った。専務として迎え入れられ、後に二代目代表として奮闘。周囲の酒屋がつぶれていく中、出資を何度か重ねたり、財産も抵当に入れたりして何とか持ちこたえた。

 今春から代表に就いた弘昭さんは、高校卒業後、東京の大学に進学。父の苦労をそばで見てきた弘昭さんは、教職の道を選んだ。大学卒業後に帰沖。中学校教諭として勤務し、後に教頭や校長を歴任。37年間、教職の世界に身を置いてきた。

 弘昭さんが代表になったきっかけは、三代目代表であった弟、秋夫さん(享年55)の事故による突然の死だった。教員とは全く異なる世界に飛び込んだ弘昭さん。「くちばしを入れないことが僕の仕事。人的な管理や対外的な交渉などで役に立てれば」と語る。

ネットで販路拡大

 一方、「小さいころから酒造所が身近な存在だった」という三女の文子さん。両親ともに教員だったため、当時の代表だった祖父、三郎さんが幼稚園や小学校の送り迎えをしてくれた。おじいちゃん子だった文子さんは祖父の働く姿を見て育った。

 高校に入ると、反抗期を迎えた。教員の親を持ち、周りの期待も大きかった分、親への反発も強くなり、高校1年のときに勢いで高校を辞めてしまう。

 そんなとき声を掛けてくれたのは祖父だった。「一緒に働こうか。あんたが一番賢いと思っているよ」と祖父だけはいつも文子さんを励まし続けてくれた。

 酒造所では瓶洗いなどを任された。当時は機械もないため、すべて手作業。16歳にとっては重労働だ。現場の厳しさを知ると同時に、祖父の酒造りを手伝いたいという気持ちが芽生えた。そして、もう一度高校に行こうと決意。再度受験し、再び高校に通い始めた。

 以降、将来酒造りに関わることを念頭に置き、進路を選んでいった。高校卒業後は熊本の大学に進学。醸造学や生物学などを学んだ。大学卒業後アメリカに2年間語学留学。その後、東京の専門学校で実務的な技術を習得し、2013年春から酒造所で働き始めた。

 文子さんはネットを駆使した販路拡大を図り、酒造所に新しい息吹を吹き込んでいる。主力銘柄「琉球泡盛まるた」にちなみ「まるた娘」として、ブログやSNSでやんばるの地域情報や酒造所での出来事などをユニークな語り口で発信。反響を呼んでいる。ブログをきっかけに酒造所を知った人や、国内外の観光客も増加した。

 限定酒の販売も文子さんのアイデアだ。3年目になる今年は約3週間で480本を完売したという。

地域とともに発展を

 今年から父が上司になった文子さん。「しっかりと先を見据えて行動し、発言してくれる。頼りになり、尊敬できる」と話す。

 弘昭さんは「機械や建物の老朽化という課題が想定される。長いスパンで経営目標を立て、いつか彼女に引き継ぐまでに機械設備の近代化を実施したい」と今後の目標を語った。

 今でも消費者の約8割は地元の人たち。「地元に支えられてきた」と声をそろえる2人。

 文子さんは「祖父や叔父に言われ続けていたことは、この酒造所があるのは、地域のおかげだということ。その気持ちは忘れずにいたい。自分たちとともに、地域も発展していくようにしたい」と意気込む。

 地元に愛される伝統の味はこの地でしっかりと引き継がれていく。

(坂本永通子)



プロフィール

いけはら・ひろあき
 1947年大宜味村田嘉里生まれ。県立辺土名高等学校卒業。立正大学(東京)の歴史学科卒業後、教員採用試験に合格。帰沖後、中学校教諭に。県教育庁の主任指導主事、教頭や校長を経て、退職後は県教育相談員、村の教育委員長、田嘉里老人会会長などを歴任。今年から田嘉里酒造所の代表に就任

いけはら・あやこ
 1985年大宜味村田嘉里生まれ。3人姉妹の三女。県立北山高等学校卒業後、崇城大学(熊本)生物生命学部応用微生物工学科卒業、アメリカに2年間語学留学。東京バイオテクノロジー専門学校醸造発酵コース卒業。2013年から田嘉里酒造所で、総務・広報を担当。2015年「泡盛マイスター」の資格を取得

合名会社 田嘉里酒造所
国頭郡大宜味村字田嘉里417
☎0980-44-3297
http://takazato-maruta.jp/

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池原 弘昭さん 池原 文子さん
人気銘柄「まるた30度」と「山原くいな30度」を手に持つ池原弘昭さん(左)と娘の文子さん。人口約290人の集落にある酒造所で丁寧に造られる泡盛は、地元の人たちに長年親しまれている=大宜味村田嘉里の「田嘉里酒造所」
写真・村山 望
池原 弘昭さん 池原 文子さん
(左から)酒造所の二代目で文子さんの祖父・三郎さん、祖母・ユキさん、文子さん。文子さんが7歳のころ
池原 弘昭さん 池原 文子さん
今年カジマヤーを迎える文子さんの祖母(97)のユキさんを囲んで。家族仲はとても良いのが自慢
池原 弘昭さん 池原 文子さん
(左から)文子さんの夫・静さん、今年5月に生まれた息子・直弥君、文子さん。文子さんは酒造所の仕事と育児を両立させながら日々奮闘中
池原 弘昭さん 池原 文子さん
文子さんと弘昭さん。文子さんが書く酒造所のブログには弘昭さんも度々登場する
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