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[No.1651]

  • (金)

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「表紙」2016年12月15日[No.1651]号

父娘日和

父娘日和 37


B・Cスポーツ店 社長 金城 賢徳さん
稲嶺 啓美さん

スポーツでつなぐ人の縁

 1959年、「B・Cストリート」と呼ばれた通りに刺しゅう店を開いた金城賢徳さん(81)。祖国復帰前のこと、顧客の多くが米軍関係者で、上層部クラスの注文が殺到する人気店だったという。復帰後の1974年に看板を変え、「B・Cスポーツ店」に。スポーツ用品を求めて近くの子どもも大人も来店する場面は、いつの時代も変わらない。賢徳さんと共に店を守る長女の稲嶺啓美さん(55)は、バスケットボール人生を突き進む女性。県代表国体選手としての試合出場をはじめ、実業団の選手や全日本チームメンバーに選ばれた実力を持つ、日本のトップレベルにいたプレーヤーだ。



コザの中心、B・Cストリートで

 「この通りは、以前ビジネス・センター・ストリートと呼ばれる商業の中心地だったんですよ。その思い出を残したくて、店名にビジネス・センターの"B・C“を入れました」

 店主の金城賢徳さんは、ここで57年にわたり商売を続けてきた。スポーツ店の前は刺しゅう店を営み、米軍関係者の服などに文字や絵柄を施した。型紙など使わず、手を動かしながらミシンで縫うスタイルだったがかなり精巧で、時間がかかっても顧客が待つ人気店だったという。

 「特別な技術はなく自己流でした。手本になる刺しゅうを見ながら、身に付けたんです。接客で学んだ英会話はアメリカ旅行で通じましたし、身近にいた兵隊さんは優しかった。ベトナム戦争中は、入れないような場所がありましたけどね」

 当時の様子を語る賢徳さんは、1970年12月に起こったコザ反米騒動の現場にも居合わせたそうで、響いた銃声や殺伐とした雰囲気を作り出す群集心理が忘れられないという。

 「祖国復帰後、刺しゅうの需要が減ったので、くら替えしました。スポーツ店を経営している親戚の影響がありましたし、長女がバスケットボールをやっていましたから」1974年にB・Cスポーツ店をオープンさせ、地域の人たちに寄り添うことになった。

本土企業がスカウト

 長女の稲嶺啓美さんはコザ中学校入学時にバレー部を志すが、「先生が怖そうだったのでバスケットボール部にしました」と笑う。

 強豪チームで試合に勝つ喜びを知り、バスケットで精進することを目標に練習が苦にならなかったようだ。生活の中心は部活動になり、高校や就職時の進路もバスケットを続ける環境を目指す。

 「インターハイで活躍したので大学や実業団、数団体からスカウトされ、話し合いを持ちました」

 と思い出した賢徳さんが興奮するほど有能な選手に育ち、全国から引っ張りだこだった。

 「選手人生が終わっても仕事ができる、第一勧業銀行に入社しました。週末に試合をしても月曜の朝には出勤し、つらいこともありましたが業務を覚え、学ばせてもらいました」

 第一勧銀チームで活躍し、全日本チームの選抜メンバーとしても注目された啓美さんは、何ごともあきらめずに挑戦すべきと教えてくれた指導者、活動を支えてくれる同僚、そして励まし合い共にプレーする仲間たちに、感謝を忘れない。

バスケットと共に

 第一勧銀チームの選手引退と同時に那覇支店に配属され、みずほ銀行に変わった後も、啓美さんは勤務を続けた。2006年、小学生になった娘と過ごす時間を持ちたい思いから退職。賢徳さんのスポーツ店を手伝う気持ちもあったという。

 「今はバスケットボール協会の家庭婦人連盟理事長を務めていて相談される機会には、親と指導者双方の立場がわかった上でアドバイスできる面が強み。可能性は誰にでもあり、無理という言葉は使いたくありません。生涯スポーツとしてのバスケの地位を築き、若い人たちの応援もしたいですね。最年長の私がプレーすれば、30代も40代も続いてくれてバスケ人口が増やせます!」とさわやかだ。

 「人に恵まれ深く関わる娘はバスケの経験も生かし、人と人との縁をつなぐ役割を担ってほしい。私は楽しく仲良く、安心しながら毎日過ごしていきます」

 笑顔がすてきな賢徳さんは啓美さんをはじめとする家族、そしてスポーツ好きの人々を温かく見守っていくのだろう。

(饒波貴子)



プロフィール

きんじょう けんとく
 1935年生まれ、本部町出身。幼いころは那覇市に住んでいたが、7歳から20歳まで母方の実家があった久高島で生活。ウミンチュ(漁師)経験や大越百貨店勤務などを経て、1959年には沖縄市中央に「金城刺繍店」を開店した。1974年に刺しゅう業の規模を縮小し、店名を「B・Cスポーツ店」に変更してスポーツ用品を販売。現在も毎日店に出て、顧客との交流を楽しんでいる

いなみね ひろみ
 1961年生まれ、沖縄市出身。コザ中学校バスケットボール部に入部。北谷高校進学後もバスケを続け、卒業後はスカウトされて上京し第一勧業銀行入社。本店で業務をこなしながら、同銀行の女子バスケットボール部で目覚しい活躍を続けた。1983年から85年まで、全日本チームメンバーに選抜された実力を持つ。選手引退後は同銀行那覇支店に勤務。2006年に育児中心の生活に切り替えるべく退職し、父・賢徳さんを支えながらB・Cスポーツ店の経営にも携わっている。指導者としてまた現役選手として、バスケット界への関わりも深い

B・Cスポーツ店
沖縄市中央 3-1-25
☎098-937-2007


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金城 賢徳さん 稲嶺 啓美さん
沖縄市中央に店舗を構え、60年近く時を重ねた金城賢徳さん。多くの人と触れ合いながら、激動の時代を乗り越えてきた。長女の稲嶺啓美さんは、70〜80年代のバスケットボールのスター選手。現在は親子でスポーツ店を経営中だ=中央パークアベニュー内「B・Cスポーツ店」前で 
写真・村山望
金城 賢徳さん 稲嶺 啓美さん
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