「表紙」2017年10月26日[No.1696]号
二人で奏でる笑顔 輝いて
古典、クラシック、ポップスと音楽の分野で若い演奏家たちの活躍が目立つ。今回紹介する夫婦はその最前線にいる二人。トロンボーン奏者でジャズバンドのバンドマスターでもある真栄里英樹さん(43)、ピアニストで作・編曲家の辺士名直子さん(41)だ。現在はそれぞれの舞台もプロデュースし、可能性を広げている。お互いの才能を称賛し、時には励ましあう二人。音楽の楽しさ、素晴らしさを多くの人にも分かち合いたいと願う。
共通の言葉は「音楽」
英樹さんは中学生の時、吹奏楽部に入り、トロンボーンを担当した。これが彼の音楽人生の始まりだ。高校は吹奏楽では全国的にも有名な福岡県の福岡工業大学附属高等学校(現・福岡工業大附属城東高校)に進んだ。名門校だけあって、練習も厳しかった。年間約300曲を覚えたという。きつかったが、そのおかげで楽譜を初見ですぐ演奏する力がついた。
直子さんは、「ずっとピアノが好きで、近所のピアノのある家に押し掛けて行って弾いていた」と言う。小学校に入り本格的に習った。宜野湾市の自宅から、沖縄市の有名な先生のもとへ通った。そういう努力もあり、小学校高学年から高校卒業まで、全国的なコンクールに沖縄代表として派遣された。しかし、中学生になってバンド活動を始めた直子さんは、曲を作ることに関心を持ち始める。高校3年の時、ピアノから作曲へ専攻を変えた。
あるバンドで出会う
英樹さんは高校卒業後、東京へ進学、直子さんは大阪。学業を終えて、それぞれの場所で音楽活動をしていた二人は沖縄に戻った。そして、ある歌手のバンドメンバーとして参加していたときに出会った。
直子さんは振り返る。「男性ばかりのバンドで、私はシンセサイザーを担当しました。ある日、練習を終えて楽屋をひとりで片付けていたのですが、そんな私を見て『大丈夫?』と声をかけてくれて手伝ってくれたのが、まだ楽屋に残っていた彼でした。気が利くなあと思いました」
英樹さんも思い出す。「楽屋にあった差し入れのリンゴの皮を、彼女がむいていた。よく気のつく人だと思いました」。お互い、それぞれのさりげない行動が印象に残った。
その歌手のバンドの仕事も終わったある日、直子さんに英樹さんからメールが送られてきた。相手からのアプローチを少し感じていた直子さんは「来たなー」とにんまり。英樹さんは「かわいいと思ったし、何よりも演奏がうまかった。お近づきになりたかった」とちゃめっ気たっぷりに話す。
順調に交際を続け、2008年に結納、翌年入籍。式は10年にあげた。
二人は、朝から晩まで音楽の話ばかりしているという。同業者としての信頼、それぞれの仕事に対してのアドバイスなども含めて会話が弾む。
活動の幅を広げて
二人ともクラシックからスタートしたが、現在は幅広い分野での活動が中心だ。
英樹さんは、自身が主宰のジャズバンドを立ち上げ、精力的に演奏会を行っている。他分野の人たちとのコラボレーションも多い。また、将来的には、若い音楽家たちが、沖縄で舞台や演奏を通して生活していける、そういう態勢を作っていきたいと話す。「その道筋をつけていきたい」と強調する。
直子さんは、ここ数年、「沖縄のウタ拝」という舞台を続けている。県内外で活躍する音楽家、踊り手、映像作家らと沖縄の歴史を音楽、映像、踊りで表現、そのプロデューサーでもある。これをライフワークとして毎年公演することが目標だ。また、直子さんが編曲した沖縄音楽は、県内外の歌い手や団体に演奏されており、沖縄の歌が歌われているという。「こんなふうに沖縄の歌が広がっていくのがうれしく、ありがたい」と声を弾ませる。
物静かに話す英樹さん、明るくはきはきした直子さん。どちらかが質問に答えている時、一方は、相手をじっと見ている。尊敬、信頼、そして愛情が、二人の共通の言葉「音楽」をより一層深みのあるものにしている。
(又吉喜美枝)
円満の秘訣は?
直子さん: 同じものを食べたり、見たりたくさん共有すること英樹さん: 現場が終わったら、なるべく早く家に帰ること
プロフィール
へんとな・なおこ: 作編曲家、ピアノ奏者。1976年生まれ、宜野湾市出身。大阪芸術大学音楽学科作曲専攻卒業。沖縄音楽を軸とした作編曲を精力的に制作、自身のoriginalityを融合させる事がテーマになっている。2015年、戦後70年の節目の年に、「音楽、映像、踊り」を融合させた舞台「沖縄のウタ拝」を主宰として始動。16年に第2回目公演まえざと・えいき: 作編曲家、トロンボーン奏者、プロデューサー。1973年生まれ、那覇市出身。東京コンセルヴァトアール尚美卒業。トロンボーン奏者として「ディアマンテス」をはじめ数々のアーティストのサポートをしている。CD「ウチナージャズ」「ウチナービート」では作品提供、サウンドプロデュースを担当。2016年「真栄里英樹BIGBAND」を立ち上げた
写真・喜瀨守昭