「表紙」2017年11月09日[No.1698]号
沖縄をボクシング王国に
県内ボクシングジムの所属選手時代に、世界の頂点に昇りつめた平仲信明さん(54)。沖縄のジムから誕生した世界チャンピオンとして脚光を浴びた。それから25年が過ぎた現在、若手ボクサーを育成するスクールジムを運営し指導に努めている。実業家としてもさまざまな事業を展開する中、常に心に留めているのは「沖縄のジムから2人目の世界チャンピオンを輩出する」という思い。妻の絢子さん(40)が強力なパートナーとなり、実現する日が近そうだ。
生命力が引き寄せた縁
「どんなことが起こっても、諦めずに生きていくパワーを持つ男性です」
夫である信明さんの魅力を語る、妻の絢子さん。大きな信頼感が伝わってくるが、出会ったのは飛行機の機内。信明さんは乗客の一人で、絢子さんは勤務中の客室乗務員だった。
「ボクサーとしての活躍は知りませんでした。見せてもらったボクシングジムのパンフレットがきっかけで、共通の知人がいることが分かったんです。それからは沖縄滞在中にジムを見学したり、食事に行ったり友達付き合いをしていました。両親と沖縄旅行した時もお世話になったんですよ」
絢子さんは高校生のころまで空手を習っており、信明さんのキャリアに興味を持った。世界チャンピオンとしての活躍を知っていた絢子さんの両親は、飾らない信明さんの人柄に触れて親しくなり、家族ぐるみで仲良くなったそうだ。
「聡明で家柄も良い高根の花の彼女と、結婚するとは想像できませんでした。僕は離婚歴のある子持ちでしたから。でもいろいろ重なり、結婚を決意。縁としか言いようがありません」と信明さんははにかむ。
資格を取り夫を支える
2004年に入籍、05年の挙式後に沖縄に住むようになった絢子さん。
「妻は何でもできるマルチな女性。複数の事業を手掛けているので助けられています。宅地建物取引士、土木施行管理技士に造園施行管理技士と、数カ月勉強して次々資格を取りました」と、信明さんは驚きのエピソードを語る。
来沖後3人の子どもの母として、育児に励んでいる絢子さん。信明さんの事業を本格的にサポートするようになったのは3年ほど前だ。
「1999年から開催しているチャリティープロボクシング大会『MUGEN(ムゲン)』は、人材育成と地域活性という趣旨を伝えることが弱く自己満足のイベントだったと感じます。2015年には『MUGEN挑』にリニューアルし、県内・県出身プロボクサーをサポート。選手の活躍の場の提供に挑戦しています」と絢子さんは意気込む。
信明さんと絢子さんを中心にスポンサー探しをし、スタッフが団結して会場設営をする。選手は所属ジムや国境の垣根を越えて出場。世界ユースチャンピオン、東洋太平洋チャンピオンを決めるタイトルマッチを行い、どんどん大きくなっている。信明さんも絢子さんも、選手やスタッフの成長、ファンの増加を肌で感じているそうだ。
全てはボクシングのため
不動産事業、赤土流出防止剤製造、防災用品販売、風力・太陽光発電、Webサーバー監視に防犯用低照度カメラなどなど……多種多様の事業を手掛けている信明さんだが、「沖縄を守る」というテーマを基盤にしているという。
「子どものころから市場で野菜を売り、台車や草刈り機を手づくりするなど物の売り買いや商品開発が自然に身に付いていました」という信明さんの言葉を、「夫は新たな利用方法を考える思考回路で、いろんな物を見ています」と絢子さんが説明し、アイデアマンである信明さんの素顔がうかがえる。信明さんの幅広い人脈も、事業展開の大きな武器だ。
ビジネスマンとして成功を収めた信明さんは、「全てはボクシングのため」と鋭いまなざしで前を見る。
「地域と選手とファンが一体になれるボクシングの聖地『MUGENアリーナ(仮称)』を8年後に完成させます。地元沖縄で試合のチャンスを選手に与え、世界チャンピオンに育てていくことも目標です。原石と思える若い子たちが控えていますよ」と信明さん。
「沖縄から世界へ!」を合言葉に、絢子さんと二人で真のボクシング王国を築くために、日々奮闘中だ。
(饒波貴子)
円満の秘訣は?
絢子さん: タイミングを見計らって、言いたいことを伝えるようにしています。夫はいつも頭も行動もフル回転しているので状況を見てポイントを絞り、爆弾を落とすように伝えます(笑)。信明さん: 信用することが大切ですね。僕は思いついたら行動するタイプ。やり過ぎだと注意された時などは、妻を立てて耐えることもあります。
プロフィール
ひらなか・じゅんこ: 1977年生まれ、神奈川県横浜市出身。早稲田大学卒業後、全日本空輸株式会社に入社し客室乗務員に。中高時代に空手を学びインターハイで個人組手3位に輝き、大学時代は競技チアリーディングを経験した。現在は平仲ボクシングスクールジムでマネジャー、株式会社MUGENでイベント事業の企画・広報を担当ひらなか・のぶあき: 1963年生まれ、具志頭村(現八重瀬町)出身。南部農林高校在校時にボクシングを始め、日本大学在校中の84年にロサンゼルス・オリンピックに出場。85年にプロデビューを果たし、92年にWBA世界ジュニアウエルター級チャンピオンになる。県内のジムから世界チャンピオンになった唯一のボクサー。株式会社 平仲(一般土木・造園工事業)、株式会社MUGEN(不動産事業、イベント事業)では、代表取締役を務める
平仲ボクシングスクールジム
豊見城市真玉橋175-1
電話 098(856)7887
http://www.boxer-hiranaka.com/
写真・村山 望