「表紙」2021年06月03日[No.1882]号
自然を愛す 島の報道写真家
山城博明(やましろ・ひろあき)さんは、1970年代から、沖縄の報道現場で活躍してきた写真家だ。ライフワークとして沖縄や奄美群島の動植物も撮り続けている。特にイリオモテヤマネコの撮影に関しては第一人者であり、写真集も出版している。来月の世界自然遺産の登録を前に、沖縄の自然の魅力と写真家としての歩みについて話を伺った。
「きれいな風景を撮るつもりで写真部に入ったんだが、いきなり闘争の写真から始まったよ」
報道写真家として活躍してきた山城さん。そのキャリアが始まったのは、沖縄大学写真部に在籍していた1970年代だ。コザ騒動や全軍労闘争の現場を住民の目線から撮影したことでその腕を評価され、在学中からアルバイトとしてマスコミ各社に写真を提供していたという。
自然を撮るきっかけ
大学卒業後、山城さんは読売新聞西部本社(福岡県)に就職する。
各地を飛び回り、充実した日々を送っていたが、ある時、幼稚園児だった息子に「お父さん、沖縄には海があるの?」と突然尋ねられたという。
自分の子が沖縄の海を知らない。このことに衝撃を受けた山城さんは、子育ては沖縄の自然の中でしなければ、と一念発起。間もなく会社を辞め、帰郷した。
沖縄に戻った後、琉球新報社に入社し写真部に在籍した山城さん。以後、2015年に定年退職するまで県内の報道写真撮影に従事する。この頃から、ライフワークとして自然も撮り始めた。
生き物を撮影したいという意欲がより高まったのは、90年代に中国・陝西省(せんせいしょう)の農村地帯を訪れ、野生のトキを追った経験だ。中国が国策として、トキのいる自然環境を保全していた当地。豊かな自然とそこで生きる人々の暮らしに感銘を受けたことで、故郷である沖縄の自然にもより愛着が湧いたそうだ。
ヤマネコとの出合い
世界で西表島だけに生息するイリオモテヤマネコ(国指定特別天然記念物)。山城さんは、この動物を野生の姿で初めて撮影することに成功している。
撮影を試みた当初はヤマネコの生態が分からず失敗続きだった。警戒心の強いヤマネコは、人の気配やカメラのフラッシュに敏感だったのだ。そこで山城さんは、ヤマネコの近くで身を隠し滞在できる撮影小屋と自動撮影装置の設置を思いつく。
島の国有林とクイラ川の水上に許可を得て撮影小屋は建てられた。近くにセットされた自動撮影装置は、ヤマネコが接近するとフラッシュを発光、カメラのシャッターを切る仕組みだ。平日は那覇で働く山城さんに代わり、西表島船浮で船舶会社を経営する池田米蔵さんが小屋の管理やフィルムの交換を手伝ってくれたという。
初めのうち、ヤマネコはフラッシュが光るとすぐに逃げ出していたが、しばらくたつと自動撮影装置に慣れ、光が無害だと学習したという。山城さんも休日を利用して西表の撮影小屋に通い、その中でヤマネコが現れるのをじっと待った。そして92年のある夜、山城さんはついに自分の手でヤマネコの撮影に成功する。
「2年かかったんだよ、シャッターが押せるまで」
現地の友人でもある池田さんの全面協力で撮影に成功したイリオモテヤマネコ。現像した写真を手にした瞬間のよろこびは何事にも変えがたいものだったに違いない。
先月11日、西表島、沖縄本島北部地域、奄美大島と徳之島の4地域を世界自然遺産にするための登録勧告が国際自然保護連合(IUCN)によってなされた。正式な登録は7月の予定だ。
山城さんは、4地域全ての自然を写している数少ない写真家だ。現在の夢は、4地域をまとめた写真集の出版であるという。自身の写真を自然遺産の認知と保全に役立てられればと語ってくれた。
(津波 典泰)
写真・山城博明