「島ネタCHOSA班」2012年01月19日[No.1399]号
沖縄文化で好きなものの中に「模合」があります。中学高校時代の友人をはじめ、職場の仲間や親戚、青春時代を共に過ごした友人らと10年、20年たってもつながっていられるのは模合のおかげ。本土にはない沖縄独特の慣習だと思っていました。が、熊本県出身の友人から県外にも「模合」があると聞きました。本当でしょうか?(2012年01月19日掲載)
「模合」沖縄以外でも?
(那覇市 50代男性)
模合。いいですね。調査員も中学、高校時代の友人と模合を2件続けています。それぞれ定期、不定期に集まり、昔話で爆笑したり懐かしんだり…。話が弾み、2次会、3次会と場所を変え、はしご酒。場合によっては模合代(通常1万円)よりも飲み代が高くつくことも。これも模合のいいところ?
おっととー。わたくしの話ではなく、クライアント(依頼人)からの依頼は県外でも模合が行われているか、でした。それでは「模合」にいってきまーす。あっ違った!調査にいってきます。
沖縄は横つながり
地方公務員を定年退職後、沖縄の歴史・文化について調査しているうるま市の佐次田善昭さん(75歳)に模合の由来などについて話をうかがいました。自身、高校時代の友人と40年以上も前から模合を続けている。いわば「大ベテラン」です。
佐次田さんは「模合は沖縄独特の金銭的相互扶助システムの体をなしています。金銭的に貧しく、横のつながりが強い沖縄に適した慣習だと思いますし、ユイマール(助け合い)の典型といえるでしょうね」と特徴を語り、「70歳以上の人は模合のことを『ムエー』と言います。中には『ユエー』『ユーレー』と呼び方をする人もいます。沖縄独特の慣習だと思われている方も多いと思いますが、日本各地に「模合」と同じような慣習がありました」と、説明を加えました。
へぇー沖縄独自の慣習だと思っていましたが、他の地域でも行われているんですね。
「先程、お話しした理由などから沖縄では今日でも盛んに行われています」
そうなんですか。周りの友人、知人も模合に入っている人がけっこういます。
佐次田さんは「山梨県や長野県をはじめとした甲信越、関西、九州など各地で頼母子講又(たのもしこう)は無尽講(むじんこう)と呼ばれ、金銭を相互掛け金として積み立てて利用してきました。沖縄のユイマールと同じ趣旨で今も文化風習で残っています」と話す。
光と影
「模合もいいことばかりではありません」と話すのは自身が座元である模合が崩れ、妻と離婚し家族が離散した経験を持つ那覇市の比嘉義明さん=仮名=(78歳)。
何やら、衝撃な言葉。「親ぼく」を深めるはずの模合がいいことばかりではない!?
「いまはあまり聞きなれない言葉ですが、20年30年前までは模合が成立せず途中で崩壊する『ゴロゴロ模合』が結構ありました」
『ゴロゴロ模合ですか』?
「他にもいろいろな呼び方がありますが、要するに自営業者らが、手っ取り早く運転資金を集めるため一回数十万、もしく数百万単位の模合をおこす。通常、金に余裕のない人ほど早く金を受け取ります。しかし次回に払い込む金が都合できずに模合が崩れる。残りの人は数カ月後に回ってくるはずだった金が入らず資金繰りに困り倒産。または座元がその責任を負って借金を重ね、一家離散などの悲劇がありました。1975年の海洋博前後にはかなりの数があったと、記憶しています。新聞でもよく報道されました」
調査員の遠い記憶をたどれば、私の父も数人のメンバーを自宅に招いて「資金集め的な」模合を続けていたように思います。
「模合の手軽さと友人知人が集まった安心感から相手の経済状況などを確かめず、担保もなく大金を委託する。よく考えてみればかなり勇気のいることなんですが…」と比嘉さん。
現在の模合は学生時代の同級生などを中心に、仲のいい友人が定期的に集まる「親睦会」的要素が強くなっています。また、積み立てたお金を順番に受け取るだけでなく旅行や趣味やレジャー費用の一部として積み立てとして利用されています。
模合がなければ、学校卒業後も定期的に会う事もなく「思い出の中の知人」で終わっていたかもしれませんね。年を重ねてもいつまでも大切にしたい「絆」です。