「島ネタCHOSA班」2018年06月28日[No.1731]号
沖縄のJAZZ(ジャズ)って、県外とどこか異なっていると聞いたのですが、調べてくれませんか?
(那覇市 紅芋グッドマンさん)
沖縄のJAZZ、県外と違う!?
むむ? 何やら面白い質問が来ましたな。ささ、今回もハリきって調査開始です。
古き良き時代の雰囲気
調査員が真っ先に当たったのは、東京を中心に全国で演奏活動をしているプロJAZZトロンボーン奏者で、神戸芸術アカデミー教授の河野広明さん。毎年のように沖縄でJAZZライブに出演している彼なら、何か知っているはず。
プルルルル…。時は、午前0時前。ライブなどの仕事を終えた頃の河野さんに電話をかけます。「沖縄と本土のJAZZの違いですか? 一言でいうと、沖縄のJAZZはハートフル。『気持ち』で演奏していますよね。素直だし、形式ばっていない」。ほほー。なんだか意外。
「東京や大阪のJAZZクラブなんかは、ミュージシャンによる生演奏が1曲終わるたびに、ミュージシャンの解説(MC)が入ります。大阪は笑いを入れ、東京は淡々と。でも、沖縄のJAZZの店はMCが入らない。ずっと演奏しっぱなし」
いやー、そうなんですか。
「それに沖縄のJAZZの店は、あらかじめ演奏曲が決まっていないのがほとんど。客や店の雰囲気に合わせて選曲しているのでしょう。お客さんによる『飛び入り演奏』が始まるのも、沖縄ならでは。東京ではまず見られません。大阪はもっと」と河野さん。続けて、「誰でも歓迎という沖縄のJAZZの雰囲気、本当に好きです。僕が初めて沖縄で出演した『PINO’S PLACE(ピノスプレイス)』、『寓話』なんかは、異文化の中にポツンと放り込まれた僕を本当に可愛がってくれた。今でも本当に感謝しています」と話します。
「沖縄のJAZZは、古き良き時代のJAZZ。もし沖縄のJAZZが、フリーJAZZやコンテンポラリーなど新しい音楽の要素を取り入れたらもっといろんな魅力が開花すると思います」と、期待を込めました。
アメリカ統治下が鍵
那覇市・国際通りの「JAZZ LIVE KAM’S(ジャズライブ カムズハウス)」でピアノを弾く、沖縄の重鎮JAZZピアニスト・香村英史さんは「沖縄が独自のJAZZといわれるのは、沖縄がアメリカの統治下にあった頃、沖縄のJAZZミュージシャンが基地内で直接彼らからJAZZを習っていたから」と話します。
香村さん自身も普天間高校を卒業後、大学浪人中に知人に誘われ、基地内で演奏を始めた一人。「『譜面が読めればいい』といわれて基地内のバンドに入ったのに、いきなりCとかD(コードを表す記号)が書かれていてね。教本なんか無い時代だから、ひたすらレコードを聴いたり先輩の演奏を聴いたりして、自分でJAZZコードを解読して。最初はアドリブができないから、バンマス(バンドマスター)に怒られて大変だった」と笑います。
香村さんによると、その頃は20以上のJAZZビッグバンドがあり、500人近いミュージシャンが基地内で音楽を奏でていたとか。「あの頃の学校教員の初任給は70〜80ドルだったと思いますが、僕は180ドルからスタートして、最後は300ドルまで跳ね上がった。いい仕事だった」と、次々と昔話が飛び出します。
「沖縄のJAZZは、僕らが3世代目だと思います。今の若い子たちは4世代目。今の時代は教本はあるし、男の子がピアノ弾いても何も言われないし、恵まれている。今後もっと沖縄の子たちが出て来てくれるといいなと期待しています」
今宵(こよい)も、沖縄流JAZZが、沖縄各地を流れゆくのでした。
【問い合わせ先】
・河野広明
https://jazztb.wixsite.com/kono
・「JAZZ LIVE KAM’S」 (牧志郵便局向かい)
☎098(863)3651