「島ネタCHOSA班」2018年09月13日[No.1742]号
波上宮に隣接する那覇市若狭の護国寺がことしで開創650周年を迎えるそうですね。この機会に、お寺の歴史やエピソードなど調べてみてはどうでしょうか。
(那覇市 前島ぬガンチョーさん)
開創650年、護国寺はどんな寺!?
開創650年とは、歴史の重みを感じます。聞けば、現存する中では県内最古の寺院なのだとか。寺社仏閣好きの調査員は、喜び勇んで護国寺の山門をくぐりました。
琉球国王も厚く信仰
出迎えてくれたのは、第74世住職の名幸俊海(なこう・しゅんかい)さん。まずは開創の経緯を教えてください。
「当寺の伝承によると、察度王の時代、薩摩坊津より来琉した頼重法印(らいじゅうほういん)が開創した、と伝えられています」。「法印」というのは、僧侶の最高位をさす言葉。たいへん立派なお坊さんがやってきて開創したのですね。
開創年や経緯については研究者の間では諸説あるとのことですが、護国寺では代々、開創1368年と伝承されているそうです。
ところで、仏教にはいろんな宗派がありますよね。護国寺はどの宗派ですか?
「真言宗です。その中にもいくつかの派があるのですが、現在は高野山真言宗に所属しています」
真言宗といえば…開祖は空海。鎮護国家―すなわち神仏の加護を求める行法により、国に安泰をもらたすことを重視していた、と日本史の授業で習ったと記憶しています。
「はい。護国寺は、当時の琉球国王・察度の信頼を得て、鎮護国家、五穀豊穣を祈願する勅願寺(国王じきじきの願いで建てられた寺)として建立されました」
以来、王が即位する時には数百人の家来を引き連れて参詣し、本堂で君臣の縁結びの盃を取り交わしたと伝えられているそうです。
海を渡った護国寺の鐘
さて、護国寺の境内には、少し気になるものがあります。それは「ベッテルハイム博士居住之趾」と刻まれた碑。でも、なぜ西洋人の名が…!?
「ベッテルハイムは、ハンガリー生まれ英国籍のキリスト教宣教師です。1846年に琉球王国に到着し、護国寺に8年間滞在したといいます」
えっ、お寺にキリスト教の宣教師が滞在…!?
「護国寺にはかつて、外国人を迎える迎賓館のような役割もあったんです。当時はキリスト教の布教が許可されておらず、監視のため寺に軟禁状態になっていたそうですが、医師でもあった彼は治療の名目でひそかに布教活動を行い、住民からは『ナンミンヌガンチョー(波之上の眼鏡)』と呼ばれていたそうですよ」
続いて、ご住職の口からは、さらに興味深いエピソードが。1853年、ペリー提督が琉球を訪れた時、ベッテルハイムの口利きで、なんとペリーに護国寺の鐘が贈られたそう。
「鐘は後に、メリーランド州のアナポリス海軍兵学校に置かれ、第二次世界戦争に勝利した時には、戦勝を祝ってこの鐘が打ち鳴らされた、と言われています。その時はハンマーで叩いたそうなんですが…。でも鐘は、撞木(しゅもく)で突かないと傷んでしまうんです。それで戦後、1956年に沖縄実業初代社長・宮里盛助氏のご協力で、同校に撞木を贈呈しました」
その後、鐘は87年に沖縄へ返還。現在は、県立博物館・美術館に収蔵展示されているとのこと。太平洋を往復して沖縄に戻ってきた鐘…。その数奇な運命に歴史のロマンを感じ、護国寺をあとにした調査員でした。
護国寺では今週末16日(日)午後2〜5時に開創650年記念の記念講演会を開催します。志ぃさーこと藤木勇人さんによるうちなー落語、高野山常喜院住職・加藤栄俊僧正による講話があり、一般の方も自由に参加できます。問い合わせは☎︎098(868)1469へ。
(護国寺提供)