「島ネタCHOSA班」2021年09月16日[No.1897]号
定年退職をきっかけに沖縄の古いシーサー巡りを楽しんでいますが、どこかオススメの場所を教えてください。
(糸満市 あひるオジー)
八重瀬町の古いシーサーを訪ねる
調査員のオススメといえば、ズバリ八重瀬町。八重瀬町の公式キャラクターはシーサーの精「やえせのシーちゃん」がつとめているほど、シーサーが愛されているまちです。
村の青年や村を守る
最初に訪問したのは「小城のニーセー(青年)石」と新城の「北の石獅子」。はっきりとした手足の形がなく犬にも魚にも見え、小城のニーセー石に至っては「青年が栄えるための守り神」。シーサーは家以外も守るとは!
富盛エリアにある県内最大最古の村落獅子「富盛の石彫大獅子」(県指定有形民俗文化財)は、高さ141・2㌢、全長175・8㌢の大獅子。「村落獅子」とは「村を守る守り神」で、沖縄には約100体あまり現存するといわれていますが、こちらの獅子は、1689年尚貞王の時代に「火除け(火返し)」として火山といわれる八重瀬嶽にむかって建立されました。
(当時)富盛村では火災が多く村民は困っていたため、久米村の風水師に頼んで村の風水を見てもらうと「八重瀬嶽に火の性がある。早く獅子の形をつくって八重瀬嶽に向けて建てよ」と教えられ、村人がその通りに建てると、それ以後、火事が起こらなくなったそうです。
昔の沖縄は茅葺き屋根で、水も今以上に便利ではなかったはず。当時の人々が慎重に火を取り扱っていたことが想像できます。
四隅のシーサー
最後はコチラ! 集落の東西南北の四隅に厄災除けや火返しの石獅子がある志多伯エリア。
神谷良明区長が「山に入るけどいいね〜?」とハブ除けの木の棒を持ち、安全を確認しながら石獅子を案内してくれました。調査員がビックリしたのは「北の石獅子」。全くの自然石そのもので、目も手も足もない。どうやってもシーサーに見えない。
「すごいでしょ(笑)。4つの獅子は旧暦8月20日に拝んでいるんだけど、台風でも行くよ。志多伯は拝むところがたくさんあるから、2年で300カ所の拝所を回ってるさ〜」と笑顔で話します。
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八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館の金城達さんは、「沖縄の獅子についてはほとんど研究資料がないため不明なことが多いのですが、13〜15世紀ごろに最初に沖縄に獅子が伝わってきたのではないかといわれています。宮獅子、御殿獅子、村落獅子、家獅子と、獅子は時代とともに変遷をとげています。推測ですが、八重瀬にもある村落石獅子は当時、村落の外側(入り口)にあったと思います。石獅子の位置を見ることによって、当時の村落の位置をおおよそ知ることができるので面白いですよ」とほほ笑みます。
余談ですが、「シーサー(獅子)は、もともとは百獣の王のライオン。インドやオリエントで造形され、シルクロードを旅しながら、さまざまに変容し、沖縄の地に渡来したものである」という情報も今回見つけました。
「獅子は雄雌一対ではなく(一匹だけの)一体型もある」、「『開口したのは雄、閉口したのは雌』の逆の獅子も存在する」、「沖縄の村落獅子は南を指すのが多い」などと、他にもたくさんの興味深い記述に出合いました。
八重瀬嶽から見下ろす美しい緑の風景。古の人々も同じ風景を見ていたのでしょうか。この穏やかな八重瀬町の輝きは、古来より継承する信仰精神がその一端を担っているのかもしれません。
富盛公民館
☎098-998-5225
〈参考文献〉
・「八重瀬町の文化財」、「八重瀬町 石獅子まっぷ」(八重瀬町教育委員会発行)
・「沖縄の魔除け獅子 写真集」、「村と家の守り神―再考 沖縄の魔除け獅子」(長嶺操著)