沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.2057]

  • (金)

<< 前の記事  次の記事 >>

「ワシントコポスト」2024年10月10日[No.2057]号

このエントリーをはてなブックマークに追加

宣言します

 いよいよ人生100年を確信、現実のものとなりました。

 現在、わたくし66歳、88㌔の体重、身長150㌢です。が、身長は2㌢縮みました。血液検査しても、体脂肪は体重に沿った数値で高いですが、他の数値は正常値で健康です。

 ただ若い頃から、高めの白血球の謎を原因究明できないのに、近頃「タバコのせいでしょう」と言い出すお医者さまが出てきたので、なんだかふに落ちない。ふっと、「体脂肪を落として白血球に変化が現れるかやってみよう、タバコより隠れ糖尿かもしれない。70代に向け、体重を見直そう」と思いついた。

 『100歳になってもタバコを吸い、お酒も少々たしなむ、カッコイイおばぁーになると宣言します』。ヨロシク!!

(うるま市 さざんがクー子)

(編コメ)最後の宣言がとってもカッコイイいいですね。理想像がしっかりしていると、目標に向けて努力しやすいのでは? さざんがクー子さん、応援していますよ~。

兄の年は抜ける?

 おいの次男S君が5歳になった誕生日に、私が「1つ年を取って、お兄さんとの年の差が2つから1つになったね。この調子で年を取り、お兄さんのY君の年も抜いたら」と冗談を言った。

 その話を聞いていた兄のY君は、弟S君に「年は抜けないよ」と言った。するとS君は「僕は友だちの年を抜いたことがある。だって4月に保育園のお友だちはみんな4歳だった。5月になり僕は5歳になった。そして友だちのT君やK君の年を抜いた」と言った。

 9月生まれの私はそんなことを感じたこともなかったので、ハッとさせられた。5月生まれのS君は、4月に同じ年だった友人たち多数を抜いた感覚があり、もしかしたら「兄の年も抜ける」と思ったかも? 思わず笑ってしまう発見であった。

(豊見城市 サーター)

(編コメ)編者は6月生まれですが、その視点はありませんでした。なかなかすごい発想です。将来の成長が楽しみですね。

イヤなものはイヤ

 私は、ある生き物が苦手。油断している時に、ドアの上から落ちてきたり、網戸の隙間から家の中に入り込んできたり、とにかく私の中のホラー。それくらいイヤだと言ってるが、夫は「家を守るし、かわいいさ~」と。私の精神的苦痛を全く理解しない。でも息子たちだけは私の味方で助けてくれる。私のスーパーマンだ。

 そんなスーパーマンたちを守ってきたのは私。「家は私が守る」。だから一歩も中へ入る事は許さない。

(沖縄市 ビックママ)

(編コメ)Yから始まるその生き物は、好き嫌いがハッキリ分かれてしまいますよね~。それにしても「家は私が守る」というフレーズ、強烈に印象に残りました。

チューチュー

 昔暑い時に、よくまちやぐゎーで買って食べたのが、あの細い氷菓子。自分たちは、「チューチュー」と呼んでいました。当時20円ぐらい。黄色・ピンク・黄緑が定番で、たまに白や茶色もありました。歯で先端をかみ切って、吸っていました。他にも同種で紅茶味の太めのものとかありました。よく部活で先輩に頼まれて買いに行きました。

 「ぜんざい」、「アイスクリン」と並んで、自分たちの夏の食べ物の定番でした。

(宜野湾市 ヤン)

(編コメ)チューチュー、懐かしいですね。沖縄県内では、「サンティー」「サンチュー」「ミッキー」「ロンロン」など、いろいろな呼び方があるようですよ。みなさんはどう呼んでいましたか?

敬老会

 台風で延期になった我如古区敬老会が9月21日に公民館で行われた。103歳の女性をはじめ、トーカチなどを迎えた方々をお祝いして、ご長寿にあやかりたいと多くの区民が参加した。

 三線愛好会の幕開けから乾杯へ、特製弁当に舌鼓を打ちながら老人クラブレク部や女子児童による舞踊などが花を添えた。舞台に上がってのカチャーシーではサーフーフー(ほろ酔い)の御仁が転がるハプニングもあってヒヤリとしたが…。2時間の祝宴はあっという間に終わり、参加者はウキウキ笑顔で家路についた。

 私は音響係として、箱部屋でCDとカセットテープをかけたり緞帳の上げ閉めを行ったが、預かったテープの頭出しがずれていたので、早送り、巻き戻しの繰り返しで踊り手を待たせてしまった(ごめんなさい)。来年は万全の準備で臨みます。

(宜野湾市 たかし)

(編コメ)音響係お疲れ様でした。裏方のお仕事には苦労もあったかと思いますが、参加者のウキウキ笑顔が何よりの報酬だったのではないでしょうか。来年も頑張ってくださいね。

沖縄の干潟を学ぶ

 豊見城市の漫湖水鳥・湿地センターで、沖縄の干潟について学ぶ講座を受講した。

 水鳥・湿地センターは住宅地に隣接しており、とよみ大橋はひっきりなしに車が走っていた。しかし一歩マングローブ林に入ると静寂に。そこは小さな生き物たちの楽園だった。

 シオマネキやトントンミー、絶滅危惧種のドロアワモチも観察できた。カニが一斉にハサミを振り上げる行動は私たちにあいさつしているようで愛くるしく思えた。マングローブの幹に張り付いている貝もいた。干潟いっぱい、さまざまな生き物が活発に活動している。

 漫湖はラムサール条約湿地に登録されており、定期的にボランティアの方々がゴミ拾いをしているおかげで美しい景観があるのです。今年も秋には各地から渡り鳥が帰ってくることでしょう。

(那覇市 三好佐阿子)

(編コメ)那覇の中心街から3㌔という都会の中にありながら、さまざまな水鳥や底生生物が生息し、マングローブの林が広がる漫湖の干潟。11月~2月が渡り鳥のピークとのことなので、もうすぐ始まるシーズンが楽しみですね。

>> [No.2057]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>