「表紙」2011年05月12日[No.1363]号
お仕事燃焼系 魅ちびけインストラクター 19(2011年05月12日掲載)
楽しいから夢中になれる
トライアスロン 千葉智雄さん
去る4月、石垣・宮古島で行われたトライアスロン大会では、チーム・ゴーヤー所属の県勢選手の活躍目覚ましく、喜びのニュースに沸いた。『沖縄からオリンピック選手を!』というスローガンを掲げ、チーム・ゴーヤーをけん引する千葉智雄さん。県内トライアスロン人口の増加やレベル向上の陰には、千葉さんの努力が多分にある。
選手育成と競技人口拡大 確かな手ごたえを実感
スポーツ競技を始めたのは中学から。一貫して競泳だった。体育大学に通う1年時、トライアスロンと出会い、のめりこむ。
「何の気なしにトライアスロン大会へ出場したんです。スイムは1位で上がったのに、バイク・ランで何百位と順位を落とし、それはもうショックで」
2年時に競泳部を退部し、トライアスロンを本格的に始める。体育大学の部活はそう簡単に辞められるものではなかったが、キャプテンが後押ししてくれた。
「『本気でトライアスロンをやるのであれば、辞めてもいい。でも、絶対にやり遂げろ』その言葉が、絶対に諦めないという決意をさせてくれました」
プロの合宿に直談判で参加するなどし、4年時には日本ランキング10位になるまで成長する。卒業式の日も海外合宿に参加し、プロとして歩み始めた。
「2000年シドニーオリンピックを目指していましたが、選手として出場することは叶わず、コーチとして参加したんです。どの世界大会にもない興奮と感動に満ち溢れていましたね。オリンピック選手を自ら育てたいと強く思い、選手を引退しました」
地元愛知県の企業からコーチとして多々誘いを受けるも、沖縄での独立を選択した。
「若さと勢いがありました(笑)。愛知はトライアスロン人口が多いので、指導者も多くいます。それに比べ沖縄は世界大会開催地でもあるのに、指導者がほとんど居ない状態。沖縄は妻の故郷でもありますし、トライアスロンを普及させるにこのうえない自然環境が整っています。指導者としてスタートするには絶好の地でした」
指導にあたったジュニア選手がすぐに活躍を見せ始め、コーチとして幸先のよいスタートを切った。だが、一般の人たちへ浸透するには至らなかった。
「敷居を高く設けたつもりは無かったのですが、プロ養成所として誤解されてしまったんでしょうね。そこで、美ら島スポーツを立ちあげ、チーム・ゴーヤーとのすみ分けを行いました。健康維持も含め、スポーツ全般の普及と楽しさを伝えることは美ら島スポーツ。トライアスロン選手の育成についてはチーム・ゴーヤーで、といった具合です」
2006年、トライアスロン選手でパートナーのちはるさんが引退。美ら島スポーツの運営に回ったことで、転機をむかえる。
「選手時代、私より結果を残して名も知られていますから、心強かったですね。今も運営を任せっぱなしで(笑)。遠征で世界各地を飛び回り、思いっきり指導に当たれるのは彼女のおかげ。本当に感謝しています」
現在、那覇と名古屋に2拠点を設け、トライアスロン教室を運営している。スクールのモットーは”楽しむこと“。
「楽しまないことには、長く続けられません。楽しいから夢中になれるんです。私が朝6時から夜9時まで、年中休まず仕事ができているのは楽しいから。体力的にはきついのですが、休みがほしいと言った矢先、何か新しいことがしたいと言っています(笑)。今は走らなければならない時期、そんな気がしています」
監督として世界へと選手を導き、県民として沖縄のスポーツ発展と向上に励む。そのひたむきな走りに、選手たちが記録という結果で応え、千葉さんを後押している。
チーム・ゴーヤーの活動拠点と、美ら島スポーツ事務局を兼ねたクラブハウス。また、一流競技者用グッズなども取り揃えた、こだわりのモノショップでもある。トライアスロン教室は、バイク練習をクラブハウス、ランを奥武山公園、スイムを糸満市のスイミングスクールで行っている。入会は随時受け付け、無料体験もある。健康維持のための個人指導も要相談にて応じている。
■美ら島スポーツ クラブハウス那覇市山下町29-14-101 TEL090-1347-5885
http://blog.goo.ne.jp/chulashima_sp
編集・狩俣美奈子/写真・島袋常貴