「表紙」2011年11月03日[No.1388]号
農業を、これまでの第1次産業としてのとらえ方から、より一歩踏み込んだ「第6次産業」に発展させるという理念の下、生産から流通、経営までも学ぶ南部農林高校・食料生産科。販売会や小学校への出前授業など、地域とのかかわりに積極的に取り組む。この日は豊見城市内の保育園の子どもたちを迎えて、稲の収穫体験を行った。「保育園生に会うってから昨日寝られんかった」と緊張気味の男子生徒も、園児が到着すると自然と優しい笑顔に。「なんでこんなに素直なんだ?」と、初々しい”一日先生“が、両手を園児とつなぎ、視線を落として話し掛ける姿がほほえましい。農場に着くと、丹精込めて育てた稲穂がこうべを垂れ、秋風に揺れていた。
作物介し、地域とつながる
大量生産・大量消費から、より安心・安全な農業へ―。新学科改編のため、食料生産科で学ぶのは1、2年生の2学年・2クラス。未来に向かった研究は、始まったばかりだ。
新しい学科では、食糧作物コースと野菜・果樹コースに分かれる。特に食糧作物コースは、私たちが日ごろ口にする米やイモ類、トウモロコシなどの穀物を中心に課題研究を進める。この日、園児と共に収穫した2期米は、1度刈り取った稲から再度発芽したもの。収穫量の変化、病害虫の状況、さらに3期米になるとどうなるのか。データを採りながら、より生産性の高い方法を模索する。軽トラックで移動するほど広い校内では、穀類、野菜、果樹など、多品種の作物を少量ずつ育て、より広い知識、応用力、今後の可能性を探っている。
「普段の作業で一番大変なのは草取りかな。ただ、生き物が相手だから全部大変」「今年は台風が多かったし、自分たちではどうしようもないことも多いですね」
話す言葉通り、手を掛け、心を砕いても結果が出ない時もある。厳しい農業の世界なだけに、同校でも農業分野に進学・就職するのは、毎年約1割。しかし、だからこそ、いまや数少ない後継者として、地域の期待も高い。同校ОBを中心に、地域の直売所で生徒たちの農産物を展示・販売したり、地元企業と共に商品開発をするなど、学校の外にも支援の輪が広がっている。
毎年「花まつり」と題して12月に行われる校内展示即売会も、生徒たちが楽しみにしている発表の場。遠方からも訪れる来場者のため、校内を花で飾って出迎える。
「僕たちの作品を手にしたお客さんが、笑顔になるのが一番うれしい。いいよーって言ってるのにお茶を差し入れてもらったり、ありがとうね、頑張ってねって励ましてもらったり」
と、こちらも笑顔に。担当教諭も、「作物を介して、地域とつながっているんです。南農生が作ったブランドとしての付加価値は、普段の授業ではなかなか気付かないかもしれませんが、買ってくれる人の顔を見て、その人と家族が食べるんだな、と思うと張り合いが出て授業に対する姿勢も違ってきます」とその効果を話す。
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折に触れ、大切にしている言葉がある。「農業は慈しみの心」。生徒たちは、その言葉をそしゃくして目の前の課題=生きている土であり、作物に向き合っているという。ある生徒は言う。「例えば、今日収穫した稲は、捨てるところなんてないんですよ。お米はもちろん食用に、もみ殻は安全なたい肥や土壌改良に。そして、日本人にとっては縁起ものですから、わらはしめ縄にします」。暑い日も寒い日も、休日も、辛抱強く世話をした稲を例に簡潔に説明する。日々土に触れ、米ひと粒を収穫した時の喜びは、そんな実体験の中から実感として生まれている。
これからの農業の形を聞くと、「原発事故などの影響もあって、これからは消費者ニーズもよりシビアになると思う。まずは目に見える形、無農薬・天然肥料を徹底したい」と男子生徒の一人は抱負を語る。彼は自身の家業である農園を継ぐか模索中。そのためにも、一度県外に出たいと言う。「沖縄と県外とでは、作り方が違うと聞いたからです。他府県では、ち密な計算を重ね、理論を構築して農業に取り組んでいる所を学びたい。これからは、これまでのように”なんくるないさー“の沖縄式では生き残れない」
と、表情を引き締める。人が生きていくことに直結する「農」の世界。古代から続くその営みは、絶えることなく脈々と続いていく。そして、彼らがその輪に加わった時、どんな実を結ぶのだろう。
(島 知子)/写真・島袋常貴
豊見城市。1948(昭和23)年、農業科・女子農業科を設置して開校。2010年度入学生から新学科に改編され、食料生産科、生物資源科、食品加工科、環境創造科、生活デザイン科。生徒数557人(男子321人・女子236人)。近年、夏場の野菜不足を補うために沖縄大学と共同開発・普及に努める葉野菜・オキダイナで注目を集める。