「表紙」2011年11月17日[No.1390]号
きらびやかなドレスや個性的な服を身に着け、スポットライトを浴びる県立那覇工業高校の生徒たち。県内で唯一の服飾デザイン科で、ファッションに関わる技術はもちろん、歴史や文化、マーケティングなどを学ぶ生徒たちは、「舞台が大好き」と、堂々としたポージングを決める。照明、音響、ナレーションなど、裏方役の後輩たちも誇らしげ。一つのステージを作り上げるために、積み重ねた努力に裏打ちされた自信がみなぎっている。見事なまでのチームワーク、そして華やかな世界観は、一朝一夕で作られたわけではない。
濃密な時間、成長の糧に
まずは、その完成度の高さ・個性あふれる姿に目を奪われる。正統派スーツあり、ゴスロリ風あり、中世ヨーロッパのお姫様にウエディングドレス、エスコートするタキシード…。デザインから縫製まで、すべて生徒一人ひとりのオリジナル作品だ。どこから発想を得るのか尋ねると、ファッション誌を見たりショップに出掛けるのはもちろんのこと、
「音楽からインスピレーションを感じます」、「好きなブランドをコラージュしてみたり、かな」、「どこ行っても、これ、使えないかなって考えてしまいます」
と言う通り、3年生の頭の中は、寝ても覚めても課題作品のことでいっぱい。お裁縫やスケッチは得意だったんですか?
「えー? ほとんどみんな初心者だったよね」、「8頭身とか書けなかったし」、「ミシンも怖かった」、「ピンワークとかも一から教えてもらったんだよね」。
こちらの質問に、口々に答えを返し、ニコニコとよく笑う。1クラスのみの服飾デザイン科で3年間を共に過ごす彼女たちいわく、「男子いるけど女子校」。時間を重ねるごとにクラスがまとまり、雰囲気が柔らかくなってきたという。
一見すると、喜々として楽しそうに見えるが、現実は違うらしい。「ただ服が好き、ステージに出たいってだけで入学すると甘い」と断言する。4月にデザイン画おこしがスタートし、10月には完成させる。世界に一つだけしかない作品を生み出すことが課せられ、提出締切は迫ってくる。課題作品へのこだわりと集中力を持続させつつ、一人っきりで細かな作業に取り組む。課題との格闘の日々だ。
「泊まり込みで仕上げに取り掛かる日もありました。完成できないと舞台に立てないからくやしいし、みんなに迷惑を掛けてしまうので、必死です」
と、振り返る。驚くことに、生地や小物、糸一本に至るまで、使う素材の選択や予算決めは、生徒一人ひとりに任されている。忙しい制作時間をやりくりし、目的意識を持ってアルバイトをしている生徒が多いのもそのためだという。
「ファッション業界はシビアな世界ですから、その道に進む生徒は少ないかもしれません。でもこの3年間の濃密な時間は、きっと生徒たちの糧となります」と、同校の取り組みに担当教諭も自信を持っている。その言葉通り、卒業後はアパレル関係へ進学・就職する生徒ももちろんいるが、希望先は幅広いという。
ふと、インタビューした生徒たちの制服の着こなしに目が行った。濃紺のブレザー、校章入りの真っ白なブラウス、チェックのひだスカートは、きれいにアイロンが当てられ、きっちりボタンを留め、丈を短くしたスカートの子もいない。
「服装は、TPОだということも学びましたから」。充実したカリキュラムを物語る言葉だ。
◇
課題作品を作り上げた瞬間が、実はそれがゴールではない。毎年行われる「沖縄県産業教育フェア」では、唯一の服飾デザイン科としての誇りを胸に、ビッグステージを務める。ショー全体の構成、効果的な音響、光の演出など、カテゴリーごとに分かれ、綿密なディスカッションを重ねる。プロのモデルを招いたり、自主的に励むウオーキング実習では、高さ12センチもあるピンヒールを履きこなし、いかにスムーズにファッショナブルに見せるかの反復練習に余念がない。
「作り上げるまで自分たちなりに苦労しますが、それが大きな達成感につながる」、「本番では、めいっぱい発表します」
と、弾む声で意気込みを語る瞳は、スパンコールのようにきらきらと輝いて見える。今年は18日⑥・19日⑦に行われる彼女たちの夢のステージ。3年間の集大成の幕が上がった時、生徒たちの姿はひと回りもふた回りも大きく見えるに違いない。
島 知子/写真・照屋俊
那覇市。1970(昭和41)年開校。一時は建築大工科やラジオテレビ科など独自の17科を創設した時期も。現在は、服飾デザイン科(平成6年創設)・機械科・自動車科・電気科・グラフィックアーツ科。全日制生徒数717人(男子557人・女子160人)。定時制355人(男子346人・女子9人)洋服・和服各1級、ファッション販売能力検定、食物検定1級などの資格取得にも取り組む。県内外で行われるコンテストで数々の受賞歴を誇る実力校。