「表紙」2012年02月16日[No.1403]号
名護市幸喜の山中に響く「ブモォ~」の声。前川寿史さん(26歳)が手塩にかけて育てる和牛たちの鳴き声だ。365日、休みなしで惜しみない愛情が注がれている彼の牛は、黒々とした毛並が美しい。「生き物相手ですから、それはもう大変です。でも、思った通りに育ってくれた姿を見ると、疲れなんてふきとびますよ」そう話す彼を横に従え、つぶらな瞳をカメラに向けてくれた牛は、触れてみると柔らかく温かだった。
”最高品質“を目指す
和牛生産の形態は大きく分けて繁殖農家と肥育農家の2つがある。前者は、母牛に種を付け、生まれた子牛を生後10カ月前後まで飼育する。その後、後者の肥育農家で出荷までを過ごすことになる。
前川さんの牛舎は繁殖農家。そもそもは、祖父が経営していたものだった。牛舎を遊び場にしていた彼は、物心がついたころには後を継ごうと考えていたと言う。
「特にこれがって言うより、自然にそう思っていました。牛は可愛いですしね(笑)」
沖縄県立農業大学校で畜産を学び、卒業後は県外の肥育農家で修行を積むなど準備を整えていたさなか、祖父が体調を崩し、牛の世話が出来ない事態に陥ったことで、急きょ、彼が引き継ぐことになる。
「祖父も、相当、大変だったんでしょうね。牛舎にいたのは5頭だけでした」
弱冠23歳の若者は、一人で、わずか5頭から牛舎経営を開始。現在、母・子あわせて38頭を飼育するまでに発展させた。
「まわりの皆さんに助けていただきました。牛を見るポイントや、飼育の仕方。まだまだですから」
一つだけ自ら始めたことがある。それは、餌の消費量と体重増加との関係性をデータで推測するという手法だ。
「与えたエサの量を記録して、残した量を引けば一日どれぐらい食べたかが分かるので、その記録を毎日とっていけば餌の消費量と体重との関係や体調管理がデータ化されると言うわけです」
当たり前だが、毎日の仕事はデータの採取だけではない。寝床づくりや、ブラッシング、牛房の掃除など枚挙にいとまがない。まだミルクが必要な保育期の子牛は、さらに慎重に。来る日も来る日も、飽くこと無く繰り返される作業。すべては、『良い牛に育ってほしい』その一念だ。
「良い牛になってもらうにはたくさん食べてもらう必要があるし、そのために僕が出来ることは、環境を整えてあげることぐらいですから」
我が子のように育てた牛。だが、その牛が前川さんのブランド牛になることはない。
現在、県内の畜産農家の多くが前川さんと同じく繁殖農家として生計を立てている。子牛の生産率だけで言えば全国でトップクラスに位置するも、生まれた子牛の7割は、宮崎や三重など県外へと売られ、その土地のブランド和牛として流通するのだと言う。
「やっぱり、本音を言うと、沖縄で生まれ育った牛として、皆さんに食べていただきたい。けど、県外のほうが消費量も多く流通経路がしっかり確立されているんで、地産地消は難しいのが現状です。でも、石垣牛のように地域で取り組んでいくなど、やり方はいろいろあると思うのでチャレンジしていきたいですし、それが目標でもありますね」
沖縄で生まれた牛を沖縄で消費する。言葉にするのは簡単だが、現実はそうではない。実現させるには「更なる努力を」と語る彼を見て、称賛するのは容易い。だが、その前に、我々は消費者として考える必要があるかもしれない。
佐野真慈/写真・佐野真慈
まえかわとしふみ 1985年 名護市生まれ。沖縄県立農業大学校卒業後、県内や県外の肥育農家にて勤務。23歳で帰郷、祖父の牛舎を引き継いだ。目下の悩みは、「牛のことで精いっぱいの毎日なので、友人から付き合いが悪いとよく言われる」とのこと。
牛テール(尾)の味噌煮込み
和牛の肉じゃが
祖母の栄子さんお手製の2品。牛テールは圧力鍋でじっくりと煮込み、とろけるような柔らかさ。ラフテーとほぼ同じ作り方だそうだが、三枚肉に比べて脂が少ない分、アッサリとヘルシーにいただける。冬はしょうがを多くすることで、体もあったまるのだそうだ。肉じゃがの方も、さすが和牛! 一味ちがいます。