「表紙」2012年03月22日[No.1408]号
ハキハキとした口調と大きな瞳が印象的な砂川香織さん(37歳)は、「私って根っからの体育会系です」と、笑顔で自己紹介する。高校時代は毎年優勝者を出す水泳部に所属し、信頼できる人たちに囲まれて青春時代を過ごした。卒業後、専門学校で秘書課程を学び、19歳で事務職に。エステの世界に転じたのは、自身、乗り越えなければならない壁にぶつかった時だった。「偶然出合ったエステが、生きる気力を失った私に笑顔を思い出させてくれた。私も笑顔を届ける側になりたいと思ったんです」。周りの多くの人の協力を得て、エステティシャンとして再出発した砂川さんは、今、心に寄り添った接客に磨きを掛けるべく奮闘している。
自ら奮い立たせ、限界に挑む
県立那覇西高校時代は、強豪の水泳部の練習に明け暮れる日々。「1日7キロ以上のノルマとか、大みそかから元旦にかけての寒中水泳大会とか。今振り返ってもすごかった」と笑う。その経験が、頑張る姿勢のバックボーンにあり、先輩、後輩、恩師を含めていまも交流が続く。
「ОB会では、気の置けない仲間と子育てや仕事の話で盛り上がります。後輩がいまだに香織先輩って呼ぶので、もう先輩はやめてって言ってるんですが」
と困ったような、照れたような表情になる。高校3年間、かけがえのない充実した日々だったことが伝わってくる。
「大学は、大人になってからでも行けるかな」と、即戦力となる秘書課程を学び、19歳で個人事務所に採用された。
「事務所は、普段は代表の方と私だけ。運転手から事務処理から、何でもさせてもらいました。もう、右も左も分からない状態でしたが、代表と奥様がいつも気に掛けてくれて」
「家族の一員だから」と、厳しくやさしく愛情をもって仕事を教えてもらえたという。退社後もお付き合いは続き、代表の臨終には、家族として立ち合い、感謝の気持ちを伝えることもできた。
一方、成人式の日に水泳部の先輩と入籍し、21歳で長男・真侑(15)さんを出産。忙しくも穏やかな日々。しかし、ある出来事が、香織さんと家族の人生を変える。はつらつとした彼女から、生きる気力と笑顔が消えた。
「人と顔を合わせることがこわくなって、生きたいと思えなくなった」
そんな時、「大丈夫か?」と声を掛け、外出できない彼女と子どもたちに寄り添い、守ってくれたのが、両親と姉、2人の弟たちだった。
「親きょうだいに助けられて、私はこの出来事を自分で飲みこむことができた。今はそう思っています」
毎日泣いてばかりはいられない。そんな時、姉に連れられて初めて経験したエステ。
「エステティシャンの人に身をゆだねていると、心からリラックスしている自分に気づいて驚きました。最初は、自身の変化にはまりましたが、そのうち、私もキレイと笑顔を届ける側になりたいと思うようになったんです」
長女・鈴奈さんが3歳になったころ、エステの道に進むための資金の相談を両親にすると、
「最初は、ものすごく怒られました。いまさら200万円近い授業料を工面するなら、子どもに投資しなさい、と」。
一人で子育てする自分を、何より心配してくれていることはじゅうぶん分かっていた。しかし、決意は揺るがず、家族の理解と協力を得て、念願の社会人コースへ。そして、現在の会社に試験2回目で採用が決まった。
再出発から1年が過ぎ、「両親ときょうだい、そして仕事に助けられた」と、今、彼女は振り返る。
「仕事で頭がいっぱいいっぱいな日は、両親が落ち着いて心休めたらいいよって言ってくれる。子育てでいっぱいいっぱいの時は、お客様との触れ合いが励みになる」。 砂川さんにとって両方なくてはならないことだ。
「天職と胸を張って言えるよう、限界まで挑戦します。中途半端が嫌いなんですよ」。
島 知子/写真・島袋常貴
エステティシャンは、美しくなる側面はもちろんのこと、健康的な体・生活になれるようクライアントをサポートする。その日の体調やメンタル部分も細やかにカウンセリングしながら、希望に合ったプログラムを提供するため、砂川さんは、国際ライセンスである「CIBTAC」の解剖生理学、ボディ、フェイシャル、スパセラピーの資格を取得。理論、技術、接客とトータルで修練を重ねている。自身が心身共に日々健康的であることも、仕事に対する大きな責任だ。
1975年那覇市出身。4人きょうだいの次女。20歳で結婚、現在は、長男・真侑さん(15歳)と長女・鈴奈さん(5歳)と共に実家の両親と暮らす。子育てにおいても、仕事を続ける上でも、人生の転機にも「親ときょうだいに見守られ、助けてもらったからこそ、今の自分があります」と感謝の気持ちを口にする。