「表紙」2012年10月25日[No.1439]号
30年後を笑顔に
「お客さまを家族だと思って接しています」。そう明るく話す那覇市上之屋の保険クリニック新都心店の神谷優子さん(40)。高校卒業後、東京で就職し、結婚。4人の子どもに恵まれたが、長男の高校進学と東日本大震災をきっかけに、横浜から子どもたちと帰郷。約20年ぶりに沖縄での生活をスタートさせた。ライフコンサルタントとして、相談客の加入している保険内容が家族構成や生活状況に適しているかをアドバイスしている。「30年後、後悔しない保険をみつけてあげたい」と、優しいまなざしで客と向き合う。
家族のようにアドバイス
那覇市出身の神谷さん。ライフコンサルタントになるまでの道のりは長い。
県立真和志高校を卒業後、東京でゴルフクラブの製造販売会社に就職したが景気が悪化。将来に不安を抱き、2年で退職。大手食品会社に転職した。1年半、タイに赴任後、県出身の進さん(45)との結婚を機に23歳で退職。専業主婦になった。
24歳で長男・繁城(はんじょう)君(17)、25歳で長女・月輝(つきか)さん(16)、27歳で次女・水輝(みずか)さん(14)を出産。専業主婦でいるつもりだったが、一人のエステティシャンとの出会いに心が動いた。子育てをしながら、いきいきと働く女性。「子育ても楽しかったので、仕事をすることは考えもしませんでした。でも彼女と話をしていると、私はこのまま社会と無縁なのかなと思いました。私も社会で自分を輝かせられるかもしれないって」
仕事を探したが、3人の子持ちに企業の反応は厳しかった。面接で10社余り落ちたという。
そんな中、契約社員としてフルタイムの勤務が決まった。仕事と子育てを両立しながら、三女・心輝(ここか)さん(10)を出産。5カ月の育児休暇を取得して復職したが、慌ただしい毎日に疲れ、退職。
しかし、「仕事を辞めて何もないのはつらい」と心輝さんが生後9カ月の頃、求職。契約社員として三菱UFJ銀行に勤務。窓口業務などに携わり、充実した日々を過ごしていた。
一方、「子どもが小さい頃から沖縄で育てたいと悩んでいた」と言う。毎年、家族で帰省していたので、子どもたちにとって沖縄は身近な存在だった。「息子は、沖縄の高校で野球をすると勝手に決めていました」
2011年3月、繁城君は沖縄県内の高校を受験。合格発表の4日前、東日本大震災が発生。「私は帰宅難民になり、子どもたちは学校に泊まり、家族バラバラで過ごしました。もし津波が来たら、生まれ故郷の沖縄なら死んでもいいが、ここでは死にたくない」。震災が家族や古里の大切さを教えてくれた。
同年4月、8年勤めた銀行を退職。仕事の都合でやむなく進さんを横浜に残し、4人の子どもたちと帰郷した。
同年5月、ヒューマン&アソシエイツ沖縄「保険クリニック新都心店」に入社。初めての保険業だったので、1カ月半ほど猛勉強して生命保険の販売ができる生保募集人資格と、中立に保険内容のアドバイスができるライフナビゲイターの資格を取得。2カ月の派遣社員を経て正社員になった。
ライフコンサルタントとして、相談客が加入している保険と家族構成などを比較し、最適な保険プランをアドバイスする。しかし、約20社の保険内容を細かく勉強しなければならず、畑違いの世界に戸惑うばかりだった。「保険は奥が深く、本当にお客さまの役に立っているのか疑問が湧きました」。入社5カ月で店長に退職を申し出た。
しかし、「お客さまとの距離を縮めるのは天才的」「天職だと思うよ」と同僚たちがエールを送ってくれた。
自信を取り戻した神谷さんは現在、親身になってアドバイスする。「沖縄を離れていた分、沖縄のことが大好きで、お客さまを家族だと思っています。家族だったら愛情を持って真剣に考えますよね」と笑う。
また、保険は改訂も多く、常に勉強しなければならない。「『私と出会って良かった』と思ってもらえるよう、勉強あるのみです」。訪れた客を将来、笑顔にするために、神谷さんの学びの日々は続く。
豊浜由紀子/写真・桜井哲也
かみや・ゆうこ 1971年、那覇市生まれ。
県立真和志高校を卒業後、東京でゴルフクラブの製造販売会社、大手食品会社に勤務するが、県出身の進さんとの結婚を機に退職。長男・繁城君、長女・月輝さん、次女・水輝さん、三女・心輝さんに恵まれる。繁城君の高校入学と東日本大震災をきっかけに、2011年4月、帰郷。生保募集人資格などを取得し、ライフコンサルタントの仕事と4人の子育てに全力投球の日々を過ごす。
ライフコンサルタントは、保険会社それぞれの保険プランの特徴を日々、情報収集し、相談客の目的やライフプランに合った保障内容を中立に提案する。神谷さんは入社後、生保募集人資格とライフナビゲイターの資格を取得。企業によってコンサルタントの名称は異なるという。