「表紙」2013年01月24日[No.1451]号
独り立ち目指して
宜野座村宜野座にある一棟のハウス。村内の次世代農家育成を目的とした「宜野座村農業後継者育成センター」で研修生として学ぶ、妻鹿(めが)晋介さんが仲間とともに約半年かけて栽培したイチゴのハウスだ。作付面積はおよそ300坪。まっ赤に色づいたイチゴがそこかしこに実っている。「どのぐらい実をつけてくれるか、甘さはどうか? 毎日が新鮮でドキドキワクワクしています。楽しいですよ」と話す妻鹿さん。イチゴ農家として独り立ちする日を目指し経験を積む日々を送っている。
村への恩返しを胸に
愛知県出身の妻鹿さんは、2009年に宜野座村に夫婦で移住。彼が農業を志したそもそものきっかけは23歳の時に勤務した生花店だという。そこで働くうちに植物にどんどんのめり込んでいったそうだ。「道ばたに生えている雑草にすら興味津々でした」と当時を振り返る。
すっかり植物に魅せられ、29歳で林業に転職。和歌山県や長野県などの山に入り、造林作業のかたわら、さまざまな草花を見て楽しむ充実した毎日。だが、林業は危険と隣り合わせの職業で、死亡率も高い。「何かを一から自分の手で育ててみたいって考えるようにもなって」。悩んだ末に農家を目指し36歳で二度目の転職を決意する。
転職を機にかねてから交際していた三和(みわ)さんと結婚。夫婦で相談を重ね移住を決意する。「沖縄を選んだのは妻です。昔から住みたがっていたんです(笑)。それで、いろいろ調べてこのセンターがあることを知ったんです」
同センターの研修生になるには宜野座村民である必要がある。善は急げと移住、面接に臨むも結果は不合格。「当然です。村の将来を担う農家を育てる場所ですからね」と笑う。あきらめなかった彼は農家の手伝いや、道路の整備作業で生計を立てながら村民としての生活をスタート。次第に周囲に認められ、移住して3年後の2012年、ついに研修生として入所を認められた。
同センターの研修期間は2年間。農業全般について学びながら、センターで栽培する作物の中から希望するものを選び、作付けから収穫までを担当する。そこで彼が希望したのがイチゴだった。
「知人のイチゴ農園でイチゴ狩りを手伝ったことがあって。子どもたちが笑顔で『おいしい』って喜んでいる姿を見て、いいなぁ〜って。普通の作物じゃ、その笑顔は見られませんから」。目の前で食べて喜んでもらうことができる。それが選んだ理由なのだと照れくさそうに笑う。
だが、その照れ笑いも栽培方法の話になると、すぐに引っ込み、「そもそも寒さには強いんですけど暑さには弱くて、温暖な気候には向かない作物なんです。沖縄は、病気が発生しやすい22〜28℃の時期が長いので温度管理が大変ですよ。ハウス全体を遮光ネットで覆ったりと神経を使います。でも苦労の一つ一つがあの笑顔につながっていると思うとやる気がわいてきますね」と力強く話す。
また、彼には、「独り立ち」と同じぐらい大切な、宜野座村への恩返しという目標もある。「移住してからの生活の全てを支えてもらってますからね。おいしいイチゴを作ってイチゴ狩りのお客さんをたくさん呼ぶことで、宜野座村の良いところをたくさん知ってもらえるんじゃないかなって。それが恩返しにもなればと思ってます」
そんな彼の思いがぎゅっと詰まったイチゴはこれから収穫の最盛期を迎える。それは同時に、ルビーのようにつややかに輝くイチゴに負けない、宝石のような子どもたちの笑顔がハウスの中にはじける日々が始まることを意味しているのだ。
(佐野真慈/写真・佐野真慈)
めが しんすけ 1972年生まれ。愛知県出身。
23歳で生花店に勤務したことがきっかけで植物の魅力を知る。もっと身近に植物を感じたいと29歳で林業に転職するも、36歳で再び農家への転身を決意。2009年に宜野座村へ移住。12年に宜野座村農業後継者育成センターに、イチゴ農家を目指し研修生として入所。おおよそ5月まで同センターで開催している「イチゴ狩り体験」でのお客さんの笑顔を心待ちに日々、奮闘中。
イチゴと豆腐のババロア
適当な大きさにカットしたイチゴ(140g)と絹豆腐(100g)、砂糖(大さじ2)、スキムミルク(大さじ1)、レモン汁(大さじ1/2)をミキサーにかけます。ゼラチン(5g)をぬるま湯(大さじ3)でよく溶いたものを加えて、もう一度、混ぜます。お好きな器に流して冷やして固めるだけ♪ イチゴのいいにおいがふわっと香る簡単ヘルシーなスイーツです。