「表紙」2013年01月10日[No.1449]号
愛情いっぱいで育てる
本部町伊豆味の山に囲まれた静かな空間に、饒平名知久さんのタンカン畑がある。幼いころから両親の農業を手伝っていた。北部農林高校を卒業後、サービス業に就き、忙しい毎日を過ごしていた。父、知清(ちせい)さんが61歳で脳梗塞で倒れ、28歳で引き継ぐことになる。「いつかは継ぐと思っていました。いつでも代われるように準備していました」と話す饒平名さん。畑を整理し、約2000坪だった畑を約3000坪にまで広げた。環境を整え、愛情いっぱいでタンカンを育て、充実した日々を過ごしている。
父の思い受け継ぐ
饒平名さんは本部町伊豆味で生まれ育った。この地域を離れようと思ったことは一度もないという愛着ぶり。
同町は、他の地域と比べ寒暖の差が激しく、冬の寒い時期は気温が2度〜3度ほどまで下がる。しかしこれがタンカンにはいい環境なのだ。この寒暖の差が、実を甘くするという。
「タンカン農家は本部町では魅力的な職業です。環境に十分恵まれていますので、おいしい物が作れます。近年、タンカン農家は増えてきているため、競争も激しいですけどね。同業者とも情報交換しながら、互いに助け合ってやっています」と笑顔。
北部農林高校を卒業して、民間企業に就職したのには、理由があった。農業をやりたいという意思はあったものの、別の職種を選んだのは、知清さんが元気で農業をやっていたからだという。饒平名さんは自身の仕事に奮闘しながらも、知清さんを手伝っていた。先のことを考え、知清さんに安心して仕事をしてほしいという思いがあった。
「農家というのは、無心でいることが大切です。小さな変化に気づくこと、それに対応する発想力と行動も必要不可欠です。父に、『おれがいなくなったらここはどうなるのか』というような思いを抱きながら仕事をしてほしくなかった。僕は農業をするなら、父を継ぐという気持ちでいました。一緒にやろうとも思ったのですが、父の性格を考えると、一人で思いきりやってもらった方いいような気もして」と話す。知清さんは昨年、85歳で亡くなった。饒平名さんはさらに意識を高め、農業に力を注いでいる。
タンカンは、苗木を植えて5年後に収穫できる。一つの木に実をつけ過ぎると、実に十分な栄養が流れないことがある。そのため、いい実がなったとしても、バランスをみて切り落とすことも。いいタンカンを作るためには、土台となる苗木への注意も必要だ。
日々、栽培方法を追求している饒平名さん。しかし、20代のころは苦しんでいたという。毎日努力しても台風で実が落ちてしまったり、計算通りにいかないことばかりだった。「こんなに頑張っているのに…」と悔しくて感情があふれ出すこともあった。農業を続けていく自信がなくなっていった。
そんな饒平名さんを救ったのは、知清さんを始め、周りの同業者だった。食べ物は生き物。育てることの難しさと喜びを教えてくれた。
「周りにいるベテランの農家さんから、『とにかく畑に通え』と言われました。『行って何もすることはなくても、とりあえず行って歩き回れ』と言われ続けていました。最初は何となく、言われた通りにしていました。すると、今まで気づかなかったことが分かったり、タンカンと過ごす時間が増えていくことで愛情があふれてきました。本当に不思議な気持ちになりました」。と穏やかな表情で話す饒平名さん。
「ちょっと待っていてください」と言い、木になっていたタンカンを切って差しだしてくれた。食べてみると、とても甘くておいしい。
「おいしい? 本当〜?」とうれしそうに笑う饒平名さん。愛されて育ったタンカンは、心にしみる味だった。
普天間光/写真・桜井哲也
よへな・ともひさ 1963年生まれ。本部町伊豆味育ち。
幼少期から父、知清さんの農業を手伝う。将来は農家になることを夢みて、北部農林高校へ進学。卒業後、サービス業に携わりながら、知清さんの手伝いを続けていた。現在は亡き父の後を継ぎ、母、文子さん(81)と2人で暮らしている。文子さんの生活も支えながら、仕事にも一生懸命な性格だ。主にタンカンを栽培しているが、シークヮサーや伊豆味紅、ウコンなども栽培している。「努力は返ってきます」が口癖だ。
タンカン入りサーターアンダギー
タンカンジュース
タンカン入りサーターアンダギーは、タンカンをきれいに洗い、皮を薄く切ります。あとは、小麦粉、砂糖、卵を練り合わせた生地と混ぜて揚げると出来上がり。タンカンジュースはタンカンの皮をむいてミキサーに入れるだけ。砂糖を入れなくても、甘くておいしいジュースになりますよ。