「表紙」2013年12月19日[No.1498]号
人生を海から学ぶ
宜野湾市真志喜の宜野湾マリーナに集まった子どもたちと共に、出航の準備をする池田祐之さん(77)。大学時代にヨットと出合い約60年、乗り手としてだけでなく、ヨットを通じ子どもたちに自然との関わり方を伝えている。「子どもは、今も昔も変わっていない。社会は変わりましたけどね。本来持っている感じる心、無限の可能性を海で引き出してあげたい」と語る。目を輝やかせ沖に向かう姿を、厳しく優しく見つめている。
次代へつなぐ教え
「船との最初の出合いは、厳しくもあり、でも原点でもあります」と語る池田祐之さん。小学2年生の時、父の仕事の関係で渡った朝鮮で終戦を迎えた。帰国のために乗った密航船。暗がりに100人余りがひしめき何日も過ごす状況の中、かじ取りを経験させてもらった記憶が、船に興味を持つ出発点だったという。「船を動かす感覚が子ども心に強烈に残りました。それから自分で船の模型を作っては構造を調べたり、進み方を研究したりしました」
エンジニアへの憧れもあったが、医師の家系で育った池田さんは、鹿児島大学医学部へ進学。迷わずヨット部へ入部する。「構造は分かっていましたが、身体感覚がなかったんですね。だから、実際に乗って実体験として確かめたかった。その経験が僕の考え方や人生を決めました」と話す。
船上では、一瞬の決断が最も重要だという。風、波、潮の流れ、そして自分や仲間の体調も精神状態も変化する。想定外のことが次々に起こる中、常に判断と決断を求められるのだ。
実体験の強み
大学卒業後、沖縄出身の友人に請われて心臓外科医として沖縄へ。「海が身近にあることも理由の一つだったかもしれないですね」と笑顔になる。
「僕がヨットに教えてもらったことを、沖縄の子どもたちに伝えたいと考えるようになって。自身がそうだったように、実際に体験してもらおうと約20年前に活動を始めたんです」
毎週日曜日、「宜野湾はごろも海洋少年団」に加入している子どもたちを中心に、20人にヨットを教える。池田さんが重視しているのは、規律と礼儀と自主性。「普段、沖へ出るヨットに大人は乗りません。一人一人が集中して気を引き締めないと命に関わる」。船を組み立て、入念に点検する子どもたち。船上でのリーダー、かじ取り、帆の調整など役割分担も自分たちで行う。
いよいよ出航。年齢も経験も違う子どもたちが沖へ向かって遠ざかるのを見送る。陸を振り返る子に池田さんは「行ってこい」と大きくうなずき、心の中でエールを送る。目的地のブイをうまく回るとほっとした表情に。風を読めずに船着き場へのルートがうまく取れない場面では、ギュッとこぶしを握った。この間約1時間。港に戻ってくる子どもたちの表情は誇らしげに見えた。
自分たちで決断
たとえ悪天候でも、毎週日曜日、必ず時間通り現場に来るのが池田さんと子どもたちの約束事だ。「子どもたちに自分たちで判断させるんです」
集まった子どもたちは、海を見て、天気を予想して、それまでの経験から一生懸命考える。海に出たい、ヨットに乗りたい。でもこのコンディションでやっていいのか。今日のメンバーで乗りきれるか。そして、皆で話し合い、出航するかどうかを決める。自分たちで確かめたことが根拠だからこそ納得し、責任を持てる。
「海は決して安全ではないけれど、危ないからとちゅうちょしてばかりでは何も始まらない。人生も同じだと思うんですよね」
池田さんが子どもたちに伝える言葉がある。「備えよ、常に。間違ってもいい、自分で決断するんだ」
「子どもは、それぞれ育つペースが違う。興味があることに出合えたら、貪欲に突き進む力がある。自分で自分を伸ばしていく」—。優しい表情で語る池田さん。自身が海から得た大切な教えを、身をもって次代へつないでいく。
島 知子/写真・桜井哲也
1937滋賀県年生まれ。実家は熊本県。父の仕事の関係で各地を巡り、朝鮮で終戦を迎え帰国。鹿児島大学でヨットと出合う。卒業後、友人に請われて沖縄へ。その後独立。中城村北上原の榕原(がじゅばる)医院医師。ボーイスカウトや海洋少年団の子どもたちとヨットを通じた関わりを続ける。
宜野湾はごろも海洋少年団☎090(1943)8136〔池原〕