「表紙」2014年06月12日[No.1522]号
愛好者の多いスポーツ、テニス。県内には多数のサークルがあるが、浦添市のサン・アビリティーズうらそえで練習する「サイドワインダーテニスクラブ」は障がい者を対象とした唯一の団体だ。代表の宮城明さん(65)=南城市=は、幼いころから車いすを使ってきた。もちろんテニスも車いすで行う。ラケットを持ったまま驚くほどの身軽さでボールを追う宮城さんは「テニスを楽しみ、人と交流する」のがモットー。障がいの状態も、テニス歴も違うメンバーは黄色いボールでつながっている。
教え合い仲間づくり
身体障がい者のテニスサークル「サイドワインダーテニスクラブ」は30年の歴史を持つ。障がい者と健常者が一緒に、週1回金曜夜に練習している。
代表の宮城明さんは、全国の大会に出場したこともある実力の持ち主。練習には、南城市の自宅から自分の運転で通う行動派だ。だが昔からそうだったわけではなかった。
25歳で外の世界へ
宮城さんは生後3カ月で病気により両足が不自由になった。9人きょうだいで家族に囲まれてにぎやかに育ったが、25歳までは家に閉じこもっていたという。「恥ずかしかったから。両親は連れ出そうとしたんですけどね」とふり返る。
しかし、きょうだいが社会に出ていき状況は変わった。「ひとりぼっちになったんです。それで外に出ようと思いました。勇気がいりましたよ」
25歳で那覇市首里にあった施設で訓練を受けた。初めて人と関わり、それまでテレビで見るだけだったスポーツをするようになった。「初めはバスケ。その仲間とテニスサークルを作りました」。それがサイドワインダーだ。
スポーツは宮城さんの視野を広げた。車いすの友人とペアを組み国内のテニス大会に遠征。仙台や北九州の全国大会で初心者クラスのダブルス優勝、シングルス準優勝も果たした。
行動範囲は国内にとどまらない。テニスと並行して続けているマラソンで、ハワイ、カナダ、オーストラリアの大会に出場した。「まさか外国に行けるとは思いませんでした。スポーツは仲間づくり。仲間からいろいろなことを教わるんです」と笑顔になった。
「楽しいから」継続
最盛期のメンバーは健常者を含め20人ほど。しかし、仕事や家庭の事情から続けられなくなる人も多い。興味を持って始めたものの、難しさからやめていく人もいる。今は3、4人程度。その中でも宮城徳幸さん(57)=浦添市=は、10年以上続けているベテランだ。きっかけは交通事故だった。
幼いころから左手が不自由な徳幸さんは40代の時、道路を横断中に車にはねられた。足が思うように動かなくなり、リハビリでサン・アビリティーズうらそえに通うように。そこでテニスと出合った。
リハビリの効果で足は回復。しかしテニスはやめなかった。理由を尋ねると「楽しかったから」とはにかんだ徳幸さん。「平日は作業所で働いて、金曜日にテニスをするとストレス解消になります」と話した。
障がい者テニスでは2バウンドが許されている。それ以外のルールは健常者と同じだ。
「想像以上に難しい」と話すのは、今年から始めた大石健一さん(37)=同。車いす利用者の大石さんはバドミントンもやっているが「球のスピードが違う。バウンドに合わせて打とうとしても打てなかったり、強く打ったつもりでもネットを越えなかったりします」と苦笑い。
平野貴才さん(24)=同=は沖縄国際大学の4年生、健常者だ。同施設でアルバイトしている時に出合い、最初は年も離れたメンバーに戸惑いもあったという。「今はここでプレーするのが楽しいし気分転換になります」と話す。
代表の宮城さんは「若い頃は勝ちたい気持ちが強かったけど、今は違います」と強調する。「健康維持にもなるし、何よりも仲間と触れ合えるのが楽しい」。確かに、声を掛け相手の打ちやすい所にボールを送るメンバーたちは、ボールを通したコミュニケーションを楽しんでいるようだった。
岩崎みどり/写真・喜瀬守昭(サザンウェイブ)
金曜18時半から、浦添市宮城の「浦添市身体障がい者福祉協会サン・アビリティーズうらそえ」で練習している。
問い合わせは
☎098(876)3477
〔サン・アビリティーズうらそえ〕