沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1569]

  • (金)

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「表紙」2015年05月14日[No.1569]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 7

上原 妙さん 上原 千賀子さん

婚礼を彩る 進取の気性

 新しい人生を歩むセレモニーの一つに結婚式がある。ブライダルビジネス隆盛の今、60年前から沖縄の花嫁をつくり続け、昼の結婚式やリゾートウエディング、琉装の宮廷結婚式など、沖縄初の婚礼様式を打ち出してきたのが「モード・マリアージュ」だ。代表の上原妙さん(85)は戦時中乗船した学童疎開船対馬丸の撃沈に遭い、九死に一生を得た。戦後は、東京の専門学校で修得した技術で美容室を開業し、新しいヘアスタイルを追求。娘の千賀子さん(59)は母の後押しで、日本トップのデザイナーに師事。婚礼を総合的にプロデュースする2代目に成長した。



沖縄初の婚礼を次々に

 戦後間もない平和通り、はやりの美容室を格子からのぞく学校帰りの女子高校生。18歳の妙さんは、美容師の仕事にあこがれていた。

 1930年、妙さんは久米村(クニンダ)の旧家に生まれた。戦局が厳しくなりサイパン島が玉砕、沖縄が攻め込まれる矢先、学童の疎開が通達され、那覇国民学校高等科1年の妙さんは疎開者1661人とともに学童疎開船対馬丸に乗り込む。いつ出航したのかも分からない真夏の夕方であった。1944年8月22日、悪石島付近で対馬丸は米海軍潜水艦ボーフィン号により撃沈。

 「海に飛び込み、犬かきができたからいかだにつかまることができた。船員さんと三つ編みのお姉さんと、台風で荒れる海を三日三晩そのいかだに乗り漂流した。暗い夜の海に、夜光虫が光ってそれを手のひらに乗せるととてもきれいに光った。それで気がまぎれた」と、けなげな少女の一面を語る。やがて日本の軍艦に助けられ鹿児島市に上陸することとなる。



西部劇に結い上げ学ぶ

 疎開から戻った妙さんには、焼け野原での母や祖母とのテント暮らしが待っていた。それでも沖縄が玉砕したと聞き、名古屋で医院を開業した父が捜し当ててくれて、東京の受験予備校に通うことに。医者にしたい父の意に反して、妙さんは山野美容専門学校、真野美容専門学校に進み念願の道へ。

 24歳のころ、美容師として一人立ちした妙さんは、沖映通りに「モード美容室」を構える。翌年、親同士が決めた人と結婚。夫は同じく久米村の旧家の出身で、外資系商社に勤める上原和雄氏であった。

 「久米村の婚家のしきたりに姑は厳しかったけれど、夫の協力があって店を続けられた。流行の結い上げを夫と行った映画館で西部劇を見つくして学んだ」と妙さん。当時、桜坂近くにあった新居から沖映通りの店まで、日傘を差して乳児の千賀子さんを抱き、おしめを抱えて歩いて通ったという。

 「店には昼間、問屋街の奥さま方、午後には病院通りの一般の奥さま、夕方になると社長夫人、バーのマダムが結い上げの写真持参で競い合ってきました」

 当時、「モード美容室」は着物の着付けから結い上げまでこなせる数少ない技術者の美容室で、客はひっきりなしであったという。

 名だたる美容師たちと美容学校を立ち上げ、先生と呼ばれるようになっても妙さんの修練は留まらない。上京して技術を学び取るのが頻繁で、「上原常務の奥さんが大きなトランクを抱えて飛行場を走っていた」と知人の語り草になったと笑う。



婚礼を総合プロデュース

 「技術修得のために最高の環境を作ってくれた母に感謝している。私は仕事に育てられた」と語る千賀子さんは、日本のブライダル界のトップデザイナーである桂由美氏に師事し、数々の花嫁和装コンテストで実績を積み続ける。84年の桂氏の海外バイヤーコレクションではニューヨークへ、さらにロシア、ローマ、ミラノ、モナコへのプレゼンテーションへの同行など、妙さんに後押しされて学びの場が広がっていく。

 店舗移転後は妙さんの社会的なポジションに千賀子さんの技術が相まって、花嫁の着付けから婚礼の総合プロデュースに事業を転化することに。琉装の花嫁、昼間の結婚式、無人島でのウエディング。妙さんが発案し千賀子さんらベテランスタッフが実現した沖縄で初めての結婚式は、今や定番である。

 「顔を合わせればけんかになるけれど、それが健康のバロメーター」と笑い合う二人。母と娘、似かよった進取の気性で新たな沖縄の結婚式を生み出すかもしれない。

伊芸久子/写真・喜瀬守昭(サザンウェイブ)



プロフィール

うえはら・たえ
 1930年那覇市生まれ。戦時下の1944年8月米海軍潜水艦の魚雷攻撃で撃沈した学童疎開船対馬丸の生存者。戦後「モード美容室」を立ち上げ、新垣美都子氏らと「琉球高等美容専門学校」を設立。2001年那覇市市制施行記念日・那覇市政功労者表彰。2004年の対馬丸記念館設立に尽力。2015年那覇商工会議所女性会特別功労者表彰。モード・マリアージュ代表取締役

うえはら・ちかこ
 1956年那覇市生まれ。東京家政学院大学、琉球高等美容専門学校卒業。1984年桂由美ブライダルコレクションinニューヨークでヘアメーク担当。全日本婚礼美容家協会和装トータルコンテスト出場ほか。2015年全日本美容業生活衛生同業組合連合会理事長表彰、全日本美容講師会会長表彰。モード・マリアージュ取締役。ウエディングディレクター



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上原妙さん上原千賀子さん
第一線を退くも「大先生」として親しまれる上原妙さんと、ヘアメーク・婚礼の総合プロデューサーとしてベテランスタッフとともに「モード・マリアージュ」を率いる上原千賀子さん=那覇市首里「ホテル日航那覇グランドキャッスル美容室」

上原妙さん上原千賀子さん
妙さんの25歳の花嫁衣裳。白無垢にベールをまとったモダンなデザインは友人たちと相談して決めたという
上原妙さん上原千賀子さん
1999年、桂由美氏のシビルウエディングプレゼンツアーに同行したモナコで。桂氏の前に千賀子さん、右側は父親の上原和雄氏
上原妙さん上原千賀子さん
「ミス・インターナショナル世界大会in沖縄」および琉装体験の着付けを担当する千賀子さん
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