沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1613]

  • (金)

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「表紙」2016年03月24日[No.1613]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 50



芸人・女優 宮川 たま子さん
玉城 伸子さん

「笑顔」は最強!

 輝く笑顔で出会う人たちを元気にする、宮川たま子さん(35)。お笑い芸人として女優として舞台に立ち、開催を控えている「島ぜんぶでおーきな祭 第8回沖縄国際映画祭」のPR隊長を務めるなど、行動力あふれた日々を過ごしている。「まさか芸人の道へ進むとは!」と娘の夢に気付くことなく、沖縄を離れる姿を見送るだけだったという玉城伸子さん(68)は、今では活動を応援する。夢に向かって、持ち前の根性で突き進んできたたま子さん。老若男女、誰からも愛される魅力は「自分が思うままに進みなさい」という開放的で自由な母の教えを受け磨かれていったようだ。



娘信じて決意を後押し

 「子どもの頃の母の記憶は、機織りしている姿だけ」と語るたま子さん。奄美大島出身の伸子さんは、家の近くに大島紬の工場があった影響で、高校卒業後に自然に機織り職人の道を選んでいたという。

 機織り機を置く空間があれば、どこにいても仕事ができる。自宅で作業を続けていた伸子さんは、現代女性の憧れともいえるライフスタイルを築いた。「朝から晩まで織っていて、子どもが学校から戻った時も家にいられます。自宅にいて収入を得られるいい時代でした」と振り返る。漁師の夫は不在続きで、伸子さんは育児に励み家庭も守る役目を一人でこなしていたそうだ。

 納品が済むと収入が決まるので子どもたちに服を買っていた伸子さんだが、たま子さんは買い物よりも成人式を楽しみにしていた。「母のお手製の大島紬の着物が着られると思っていたら、間に合わずにまさかのレンタル(笑)」と、悔しさを感じたことも。

 少女時代のたま子さんは、手がかからず笑顔を絶やさない女の子らしい子だったようで、「どうして芸人を目指すようになったのか…」と伸子さんは戸惑い、育て方を間違えたのかと自問自答した。ショックだったが、「本人が決めたことは反対しない」と娘を信じる姿勢を通すことにした。



目指せ!お笑い芸人

 お笑い番組が好きで、自分の間抜けな失敗で同級生が笑ってくれることに喜びを感じたたま子さんは、中学生で芸人になると決意。憧れの吉本興業に電話をかけて情報を入手し、高校生になると大阪でオーディションに参加するなど行動する。だが「家族には内緒。部活動の余興さえ見られたくなかった。恥ずかしいし、いい子のイメージを守りたかったのかもしれません」。

 大学生になり名護市で一人暮らしを経験し、バイトを掛け持ちして養成学校の学費をためた。「行きたい気持ちが強くなったので、中退すると母に告白。父は洋裁学校に行くと勘違いしていましたよ(笑)」

 大阪に出たたま子さんは笑いを学び、「マングースたま子」という芸名で日々ランドセルを背負って行動。「補導されたこともありました」と笑い飛ばす。「イタイと思える奇抜な子だったと思います。なんばグランド花月という劇場の進行係を経験し、宮川大助・花子師匠に出会い拾われました」とたま子さん。住み込みで弟子になり、厳しい修行を積み「宮川姓」を名乗れるようになったという。500坪の畑がある宮川師匠宅では、修行といえば農作業する現実で、たくましく生きるすべを教わった。

 次なる目標として東京進出を思い浮かべたたま子さんは、花子師匠に打ち明けた。だが簡単には許しが出ず、1年間の謹慎を言い渡される。その期間中は沖縄に戻り、バスガイドになって歴史を学んだそうだ。沖縄のことを全国に発信したいという思いも加わったたま子さんの意思を師匠は尊重し、2011年1月に東京行きが実現する。

仕事も私生活も笑顔で

 吉本の東京事務所で大﨑洋社長に会い、沖縄出身とアピールしたことがきっかけで「島ぜんぶでおーきな祭 沖縄国際映画祭」のPR隊長という大役を務めるようになった、たま子さん。全市町村を回り、今では多くの県民に知られる人気者だ。東京では舞台やドラマ出演を重ね、県出身の芸人仲間とバンドを結成するなど活動を広げている。

 毎日が楽しいから自然に笑顔になれるというたま子さんに、伸子さんが望む唯一の願いは幸せな結婚。「孫の顔を見せてほしい。そしてどんな時も誠実でいてください」と伝えた。「親孝行、師匠孝行のために早く相手を見つけます!」とたま子さんは答えていた。

 干渉し過ぎない距離感を保っている二人は、芯が強く好奇心豊かな面が似通う母娘。たま子さんが笑顔いっぱいで、将来の夫を伸子さんに紹介する日が近そうだ。

(饒波貴子)



プロフィール

みやがわ・たまこ(本名:玉城 悠子/たまき・ゆうこ)
1980年浦添市生まれ。仲西中学在学中に「お笑い芸人になりたい!」と夢を抱き、アルバイトを続けるなどして費用を蓄える。浦添高校卒業後は名桜大学に進学するが、夢をかなえるべく中退。お笑いの本場・大阪に渡り、吉本興業のタレント養成所「NSC」で学び劇場スタッフを経て、日本を代表する夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」の弟子となる。大阪での活動を経験し、2011年からは東京を拠点に芸人・女優として活躍中。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属

たまき・のぶこ
1947年鹿児島県奄美大島生まれ。高校卒業後、大島紬の機織り職人に。25歳の頃、進学する妹に同行して那覇に渡った後に結婚。2男1女を授かる。40数年続けてきた機織りを引退。近年はシルバー人材センターに入会し請負業務などに携わっている

「島ぜんぶでおーきな祭 第8回沖縄国際映画祭」
開催期間:2016年4月21日(木)〜24日(日)
開催場所:那覇市、宜野湾市、北谷町、浦添市、沖縄市、豊見城市ほか県内各所
公式サイト: http://oimf.jp/



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宮川 たま子さん 玉城 伸子さん
芸人・女優の宮川たま子さん(写真左)と、母・玉城伸子さん。「島ぜんぶでおーきな祭 沖縄国際映画祭」のメーンビジュアル「おっ!chan」と一緒に舞台に上がってもらった=那覇市前島の「よしもと とまりんスタジオ」にて 
写真・喜瀬守昭(サザンウェイブ)
宮川 たま子さん 玉城 伸子さん
父、兄、弟と3歳の頃のたま子さん
宮川 たま子さん 玉城 伸子さん
1981年、1歳の頃のたま子さん
宮川 たま子さん 玉城 伸子さん
伊是名のビーチを歩く、2歳のたま子さんと伸子さん
宮川 たま子さん 玉城 伸子さん
2015年、宮川大助・花子師匠、後輩ありんくりんとの記念写真(なんばグランド花月にて撮影)
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