沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1614]

  • (金)

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「表紙」2016年03月31日[No.1614]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 51



島のごちそう はなおり
當間 勝子さん
店主 新城 ゆみさん

母娘のれん、繁盛記

 名護市為又の町外れ、「看護学校通り」と呼ばれるやんばるの道沿いに見過ごしそうな小さな居酒屋「島のごちそう はなおり」がある。當間勝子さん(67)は18年前、女手一つで店を構えた。懐かしい味わいの家庭料理と気安い人柄。客が客を呼んで、のれんが掛かる夕暮れ時なじみの顔がそろう。今、店を切り盛りするのは長女の新城ゆみさん(41)。母の味を受け継ぎつつ、豚肉も、野菜も、魚も地元名護、羽地のものを集めて、ジュニア野菜ソムリエとして料理を楽しみ、もてなす。人柄と料理、母と娘が営む店が繁盛するゆえんだ。(おわり)



女手一つ、家を建て店を開く

 「調理の仕事以外、思いつかなかった」。36歳で夫を病気で失い娘3人を抱える身となったとき、勝子さんは調理師免許を取ろうと思い立つ。当時、長女ゆみさんは小学6年生。次女、三女も低学年である。柔和な顔立ちの勝子さんに、母親としての気丈さが備わった。

 勝子さんの調理人生は16歳に始まる。東京で沖縄料理の店を経営する叔母の下、買い出しから下ごしらえを手伝い、調理に目覚めていく。8年後、羽地村出身の當間久雄さんと結婚。1983年、夫が長男であったため一家で帰郷した同年3カ月後に久雄さんは他界した。

 手に職を付けるため、勝子さんは子どもたちを親に預けて那覇の調理師専門学校へ朝7時半のバスに乗って半年ほど通ったという。調理士免許を取得後、給食センターや市民会館の喫茶室勤めを経て、食堂や「花織弁当店」を開くまでになる。「母は昼は食堂や弁当店に、夜は喫茶店の調理場に出て家にいなかった」と、ゆみさんが思い出すほどがむしゃらに働いた勝子さん。

 やがて友人の勧めと、ゆみさんに背中を押されて居酒屋を開く。それも女手一つで建てた自宅に構えた店である。



母の頑張り、娘の支え

 1998年、名護市為又に名桜大学が開学。その2年目に、今帰仁村に抜ける通り沿いの辺ぴな場所にできた小さな居酒屋。それが勝子さんの店であった。

 「家を建てるにはローンの支払いが伴う。50代、気力もあった。店を出して頑張ってみようと思った」と、当時の心意気を語る勝子さん。開店したては、ただ通り過ぎる人が多かったという。「大げさな看板を出しても見合ったことができない。手間をかけた料理で、さりげなく続けていけるように」と、こぢんまりと構えた。

 勝子さんが次女とともに料理をこしらえ、ゆみさんは客への配膳に回った。当時24歳、気立てがよく明るい人柄で看板娘の評判を取った。地元の建築業者が多く、なじみの客が次第に増え、客が客を呼んで常連の多い店としてにぎわっていく。

 10年目にはゆみさんの発案で改装もしたが、母と娘、女性としてのライフサイクルから居酒屋経営に過度期が訪れる。次女に続いてゆみさんの結婚、勝子さんもひとり暮らしとなった。ゆみさんたちはそれぞれ子どもを授かるも相次いで流産。家族に無理をさせてはいけないと、思い悩んだ末に勝子さんは店を閉めた。

二代目はJr野菜ソムリエ

 「やっぱり料理が好きだと知った」と、ゆみさん。店に立つ日はなくても、ジュニア野菜ソムリエの資格を取ったり、県主催の料理コンテストに応募したり、食材を手にしては料理に思いを巡らす楽しさを忘れなかった。

 2年後それぞれ子どもに恵まれた年、ゆみさんはもう一度店を開きたいと勝子さんに持ちかける。ゆみさんがオーナーとなって「はなおり」は新たな門出となった。勝子さんの代の人気料理はそのままに、地元の食材をアレンジする料理が加わった。ゴーヤーを春巻きにしたり、イカ墨汁をウチナー風の焼きそばに生かしたり、ゆみさんならではの料理が観光客にも評判だ。料理を安心して勧められると、近隣の宿からの紹介も多い。

 「店を再開して、18年変わらずに来て下さる方もいてありがたい。常連さんは家族、親戚のよう。」と、すっかり板についた店主ぶりだ。カウンターで仲良くなった客同士が定例会を開き、新参の客には声を掛け料理を紹介するという。今夜もおなじみさんが、地のものを集めた料理と家庭的な雰囲気に引かれてのれんをくぐる。

(伊芸久子)



プロフィール

とうま かつこ
 1948年旧大里村生まれ。1964年上京、叔母が経営する沖縄料理店に就職。1972年結婚、神奈川県で3女をもうける。1983年帰郷後、夫の久雄さんが病気で亡くなる。1985年沖縄調理師専門学校へ入学し調理師免許を取得。卒業後、名護市民会館の喫茶室、給食センター勤務を経て、「花織弁当」の店を開業。食堂を開き、名護市為又に引っ越し「味処、酒処 はなおり」を開く

しんじょう ゆみ
 1974年神奈川県川崎市生まれ。県立名護商業高校卒業後、病院で看護助手として約4年勤務。1998年母勝子さんが経営する「味処 酒処 はなおり」を開店時から手伝う。2011年結婚、2014年長男を出産。2012年Jr野菜ソムリエを取得し、2013年島野菜コンテスト入賞、2015年の「75-1(ナゴワン)グランプリ」優勝



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當間 勝子さん 新城 ゆみさん
18年前、女手一つで居酒屋を開いた當間勝子さん(写真左)。「お客さまあっての私たち」と、長女で二代目の新城ゆみさんと声をそろえる=名護市為又の「島のごちそう はなおり」 
写真・村山 望 
當間 勝子さん 新城 ゆみさん
41歳、那覇調理師専門学校2期生の勝子さん。18歳の同級生と実習中
當間 勝子さん 新城 ゆみさん
夫の他界後、娘3人と母子家庭となったが、母の頑張る姿を娘たちが追う 1960年
當間 勝子さん 新城 ゆみさん
「はなおり」を開店した翌日、カウンターを前に勝子さんとゆみさん1998年10月29日
當間 勝子さん 新城 ゆみさん
昨年の「75-1(ナゴワン)グランプリ」コンテストでゆみさんが優勝した「ヘチマの冷菜 シークヮーサーポン酢」。ヘチマをレンジで蒸すときれいな緑に仕上がる。さっぱりと喉越しのよい涼味だ
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