「表紙」2016年07月07日[No.1628]号
輝く ティーダの笑顔
キラキラとまぶしく美しい存在感を放ち、抜群の歌唱力で多くの人を魅了するアーティストのManamiさん。テレビCMでおなじみの新曲「踊れティーダ」をはじめニューアルバム収録の全ての曲は、Manamiさん自身が歌詞を書き、弟のDaisuke Nakamuraさんが作曲・プロデュースした姉と弟のコラボレーション作品。2人の音楽活動に大きな影響を与えた父・中村守さん(66)は料理人だが、若い頃から作詞・作曲したオリジナルソングを数えると約60曲あるという。ティーダ(太陽)のように輝く笑顔を見せる仲良し父娘に、家族の物語を聞いた。
仲良し、親友、認め合う存在
「子どもの時から、父とは友達のような関係です。仕事のことなどいろいろ話してくれますから、私も何かあればすぐに報告します。恋愛相談もするので、珍しい父と娘かも」と、Manamiさん。
守さんは自身の人生論をManamiさんと弟に語り続けてきたそうで、「つらい経験をしたので、人生は甘くないと言い聞かせてきたんです」と笑う。
だがManamiさんに裏切られた記憶があるそうで…。
「大学生になったらきれいなドレスを着せてフランス料理店に行って、一緒に食事をするのを楽しみにしていました。ところがダンスを習い始めた娘は、ブカブカで破れたような服を着るようになってしまった!」と、お姫様のような娘にする夢が砕け散った守さん。
Manamiさんはダンサーとしてステージに立つことを目指し、大学には行かないと宣言したという。睡眠時間を削ってレッスンに励む日々を続けたが、両親は大反対。
「家出を考えるくらい真剣な気持ちでした。目標を見つけ、突き進んでいたんです」と、当時を思い出したManamiさん。ダンスを続ける交換条件として大学進学を約束し、両親を安心させた。
「渋々受験して大学に通いましたが、行って良かった。たくさんの人に出会い、歌手デビューにつながりました。親の言葉は受け入れるべきですね!」
父の才能受け継ぐ
沖縄出身ながら東京育ちの守さんは、結婚して子どもができたら、東京で育てる方針を持っていたという。
「僕の父は子どもの教育のためにと、一家で東京に引っ越しました。自分の子どもにも同じ環境を与えたかった」と振り返り、事業家の息子として裕福に暮らしていたと語った。大学を出た守さんは、父親所有のアメリカの土地で農業を始め大損したり、東京に戻り商社に勤め輸入雑貨をヒットさせたりと、失敗も成功も経験したそうだ。
その後沖縄に帰り、不動産業に携わりつつ建築物の設計デザインに挑戦。アイデア力も生かし、天ぷら店もオープンさせた。当時珍しかった会員制システムと確かな味が評価され、口コミで広がる人気店になったという。
行動力がありマルチな才能を発揮する守さんの姿は、アーティストManamiさんに重なる。「センスは最高。聴くと涙が止まらなくなる曲がありますし、何より歌がうまい!」と娘を褒めちぎる守さんのそばで、「親バカトーク!」とManamiさんは大笑い。そして「私の音楽活動は100%父の影響を受けています」と認めた。趣味で自作曲を作ってきた守さんを、ずっと見ていたのだろう。
「踊れティーダ」でダンス!
2008年に世界規模のオーディションで優勝し、2010年に華々しくデビューしたManamiさん。ダンサブルでポップなCM曲は印象的で、県民に愛されるシンガーとなった。7月6日には、ニューアルバム「踊れティーダ」をリリースしたばかり。
「今までで一番の力作だと思っています。タイトルに沖縄方言を入れたのは初めて。3年前に拠点を東京から沖縄に移し、大きなターニングポイントになりました。眠っていた沖縄魂が起き上がり、作詞活動やパフォーマンスが変化しました」と、自分の中にあるエネルギーが爆発したことを実感したという。夏らしい曲もバラードもあり、通年楽しめる内容に仕上がった。「生活をして、もっと深く沖縄を知ろうと決めて良かった」とかみしめ、「多くの人が私の曲を歌って踊ってくれますように」と願っている。
守さんもタイトル曲「踊れティーダ」は、「ストレートに夏を感じる名曲!」と大プッシュ。
日頃から、アーティスト活動を全力でバックアップしてくれる守さんについて、「親友であり、世界で最も尊敬する人」と結んだManamiさん。沖縄に住み、父娘の絆がさらに深まっているようだ。
(饒波貴子)
プロフィール
Manami (まなみ)那覇市出身で学生時代は東京で過ごす。2008年、米著名音楽プロデューサーのファレル・ウィリアムスと日本人デザイナーNIGO主催によるオーディション「STAR BAPE SEARCH」でグランプリに輝く。2010年6月に「Yellow Stop」で本格的歌手デビューを果たして以降、新曲やアルバムを発表するたびに話題に。本人出演のオリオンサザンスター(発泡酒)CMソングが好評で、県内を拠点にしながら全国区での活動を続けている
なかむら まもる
1950年生まれ、那覇市出身。慶応義塾大学経済学部を卒業し、農業家・商社マンの職に就いた後に不動産業界へ。貸しビル管理に携わったきっかけで出店のアイデアを求められ、1990年代に那覇市久米に会員制天ぷら店「天風」をオープン。2002年には眺めのいい一軒家の「会員制天ぷら専門店 天久テラス」(☎098-863-0294)として再オープンし、上質な天ぷらがリーズナブルに味わえると人気
写真・知念玲奈
http://www.manami-sorafune.com