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[No.1635]

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「表紙」2016年08月25日[No.1635]号

父娘日和

父娘日和 21



空(sora) 建築設計 一級建築士 鉢嶺 元一さん
二級建築士 大嶺 若菜さん

程よいスタンスで独自性生かす

 建築主の依頼から建築物が引き渡される工程に、建築士の高いコストパフォーマンスと感性が介在する。鉢嶺元一さん(60)は32歳で独立して以来、意匠設計を専門に住宅やビルの建築設計を手掛ける。建築設計とは、「空」の下に存在する土台に全力を注ぐものづくりを意とし、事務所ではスタッフの典子夫人と長女の大嶺若菜さん(35)が連携しつつ、独自のスタイルで仕事をこなす。「突っ走るタイプ」と、元一さんがその性格を危ぶみ、高2の夏休みに建築現場へ修業に送り込んだ若菜さんは、今や程よい距離感で事務所を共同運営する片腕だ。



大工少年、住宅設計の建築士へ

 鉢嶺元一さんは、那覇市の農連市場近くの商家の長男に生まれた。店舗兼住宅に10人以上が暮らす大家族で、子ども部屋は望むべくもなかったという。

 小学3、4年生のころ、自分の部屋が欲しくて、物置を改造してベニヤ板を張り、リフォームのまね事をした。たった2畳だが専有した。その様子を見た父親は元一さんに大工道具一式を買い与えたという。金づち、のみ、くぎを手にした「大工少年」は、新たなスペースを増殖させては弟妹たちに譲り渡した。

 「5年生の音楽の宿題に音符の長さを測る宿題を発表したらみんなと違った」と笑う出来事も。大工少年にとって音符の長さとは、径を実測することだったようだ。

 大工少年は専門学校に進み、一級建築士の資格を取得。卒業後、公共建築物に強い県内の組織系建築設計事務所に就くも、「残業に追われ、太陽を拝めない修業の連続で、いつかは独立を」と、住宅設計を思い描いたという。6、7年後、志を同じくする設計グループで共同事務所を構え、32歳で独立した。

著名建築士の影響受けて

 独立した元一さんに、中・高校の同級生が新居の建築を依頼してくれた。初仕事、念願の住宅設計で表したのはコンクリート壁をむき出しにした「打ち放し」。シンプルな外観に雨端(アマハジ)、室内に風の通り道をつくり、沖縄の直射日光の下で陰のような涼しさをもたらす設計である。

 独立当初から、元一さんは県内外で評価の高い建築家の末吉栄三さんに強い影響を受けた。末吉さんの受賞を祝うあるパーティーで誘われ、末吉さんが主宰する勉強会に加わった。

 「風土を大切に、華美にならず凛(りん)としてひっそりと立つ」と、末吉さんが説く住宅建築の概念を見た「豊見城の家(1987年)」は、もっとも感銘を受けた作品だという。

 住宅建築はコストパフォーマンスを基本とするテイストの付加だと語る元一さん。「奥さんが台所の窓から外を眺めながら料理をする、縁側で寝転びながら新聞を読む一家のあるじ」など、妄想しつつ図面を起こすと笑う。

「大胆でも、細心であれ」

 建築士の作風を打ち出す、いわばアトリエ系建築設計事務所「空」で元一さんと長女の大嶺若菜さんは個々のカラーで仕事をこなす。

 「斬新なものを造る」と、元一さんが評価する若菜さんは3、4年ほど前から建築主との打ち合わせから引き渡しまでを一人で手掛けるようになった。「敷地は狭いが広く見せる工夫の住宅設計は、施主さんと気持ちがつながり引き渡し時に充足感があった」と、独り立ちを語る。それほどに成長した若菜さんの陰に元一さんのバックアップがある。

 「やりたいことに突っ走り、ちゅうちょしない行動派」の若菜さんの破天荒ぶりを元一さんは見かねた。高2の夏休み、アルバイトと称して中規模建築物の建築現場に送った。若菜さんは、現場監督の下、朝から夕方まで作業服姿で、測量補助、墨出し、型枠の確認などの作業をやってのけた。

 「人とのつながりや仕事に対する心構えなど、当時の経験が今役立っているでしょう」と、母の典子さん。

 結婚後、子育てをしながら元一さんの勧めもあって、県内の専門学校で学び、27歳で二級建築士免許を取得した。「特に影響を受けた建築士はいないが、父のアドバイスは心強い」と若菜さん。

 女性らしい感性で家事の動線、内装を得意とする反面、挑戦と思える若菜さんの設計を読み取る元一さんは、「細心であれ」とアドバイスする。建築業界が厳しい情勢にある中、「家主さんの目となり、口となり、頭脳となる建築士」が父娘の合言葉だ。

(伊芸久子)



プロフィール

はちみね げんいち
 1955年生まれ、那覇市出身。九州学院大に進むが途中進路を変更し中央工学校(東京)に入学し直し建築士を志す。卒業後、県内数社の設計事務所で経験を積み32歳の時に気の合う友人たちと共同で設計グループ空(そら)を立ち上げる。各種コンペに挑戦し連敗するも、実施設計(主に住宅系)を雑誌や各種メディアで発表すると除々に設計スタイルが認知された。妻と娘の3人で家内工業的に営業中

おおみね わかな
 1981年生まれ、那覇市出身。高校を卒業後、3年間専業主婦。夫や友人が建設業に携わり、工事現場を身近に感じていた。手に職を持つ父へ憧れ、薦めもあってパシフィックテクノカレッジ学院建築学科へ入学。卒業後父のアトリエに従事しつつ他社への出向を経験。足りない部分をカバーし合える今の環境に感謝する

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鉢嶺 元一さん 大嶺 若菜さん
「ひとつひとつ丁寧に、納得のいく仕事を目指す」と、共に事務所を運営する鉢嶺元一さんと大嶺若菜さん。共同の案件はないが、忙しい時は補助に回り、連携する。アトリエ系建築設計事務所らしい伸び伸びとした仕事スタイルを取る=那覇市長田の「空」建築設計 
写真・村山 望
鉢嶺 元一さん 大嶺 若菜さん
初めて手掛けた同級生の住宅の「コンクリート打ち放し」(1984年)
鉢嶺 元一さん 大嶺 若菜さん
若菜さんが手掛けた住宅の地鎮祭で。建築設計は4棟目
鉢嶺 元一さん 大嶺 若菜さん
若菜さん2歳のひな祭りに元一さんと。鉢嶺家は行事を大切にした
鉢嶺 元一さん 大嶺 若菜さん
スラブ打ち前に配筋検査中の若菜さん (2016年)
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