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[No.1639]

  • (金)

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「表紙」2016年09月22日[No.1639]号

父娘日和

父娘日和 25



仲本 兼市さん 仲本 小百合さん

ヤマクニブー、「本部町の香り」に

 乙羽岳の山裾、本部町伊豆味に夏至南風(カーチーベー)の吹くころ、ミカンの木の下に自生するヤマクニブー(和名 モロコシソウ)の小さな花が咲く。スパイスを濃縮したよう強い香りを放つ干し葉は、年寄りになじみの虫よけ材だ。仲本兼市さん(79)は4年前、ヤマクニブーの干し葉作りを義母の古堅千枝さん(95)から託され、蒸し加工を始めた。「伊豆味のヤマクニブーを絶やすのは忍びない」という祖母の思いに、孫の仲本小百合さん(50)は若い人に受け入れてもらえるよう、匂い袋を作り出し、町の支援を取り付けている。



絶やさずに、祖母の願い孫へ

 蝉時雨が降り注ぐ山あいの里、伊豆味の梅雨が明けて、ヤマクニブーを蒸す仲本兼市さんの作業場から強い香りが立ち上る。何種とあるカレーのスパイスをブレンドした奥深い香りと、懐かしさを呼び覚ます素朴な匂い。

 「蒸し始めると、発散した香りを不思議に思った人が下の集落から訪ねてきます」と、兼市さん。

 ヤマクニブーの干し葉は、昔からお年寄りが虫よけにたんすに入れたり、蚊やりに軒先につるしたりして愛用する。名前が象徴するように、ミカンの産地である伊豆味に多く自生し、最盛期は7戸の農家が干し葉作りを生業にしたという。

 古堅千枝さんは、50年にわたってみかん農家から買い取った生の葉を蒸し加工して那覇の農連市場へ出荷してきた。1人で7000束の干し葉を作り、自ら軽トラックを運転して輸送したという。「ヤマクニブーで家を建てた」とは千枝さんの語り草だ。

 若い人に敬遠され、生産量も落ち込んできた今、伊豆味の最後の作り手となるのを案じた千枝さんは、「ヤマクニブーは本部町でしか作れない」と、娘婿の兼市さんに作業場を継ぐよう頼んだ。4年前、兼一さんと康子さん(75)夫婦はその思いを継いだ。

香り引き出す蒸し加減

 「ヤマクニブーの香りは、程よい蒸し加減が大事」と語る兼市さんは、千枝さんの昔ながらの知恵をしっかり受け取ったようだ。

 ナナメーナービ(アルミ製の大鍋)の四分の一程度に水を張り、網の上に束にした生葉を並べる。その上からかますをかぶせて火をおこす。蒸し始めること30分。火が弱いと青臭さが残り、蒸し過ぎると葉がしおれ、干し葉に勢いがなくなるという。「かますの上に水滴が滴り落ち始めたら鍋から引き上げるタイミング」と、蒸し加減を語る。一度に蒸せる量は200束。ヤマクニブーは時季のもの。7000束を蒸した昔は夜通しの作業だったという。

 蒸した後は、日陰で2日間風を通して干す。「昨年は2000束を作ったが、ことしは600束に終わった。需要をまかないきれない」と、懸念する兼市さん。課題は原材料の増産だ。

ふる里納税の返礼品

 「ヤマクニブーは不思議なことに、移植栽培ができない」と、兼市さんは在来植物の栽培の難しさを語る。300坪の畑で栽培を試みたものの、1本すら収穫できなかったという。連綿と自生のヤマクニブーを刈り取ってきた背景には、農家が花開いたものだけを刈り取り、根元から新たな茎が成長したり、実が落ちた地面から発芽したりする自然体系がある。

 本部町の自然が育み、沖縄で古くから愛された民俗性。生まれ育った土地の産物が貴重であることに気付かされたのは娘の小百合さんだ。「地域の貴重な資源を客観的な視点で捉えてくれた知人に継承すべきであることを教えてもらった。おかげで製品化にこぎつけました」

 小百合さんは本部町のリゾートホテルに勤めた縁で、特産品開発にかかわる知人から声がかかり、2年前からヤマクニブーの新たな製品開発に取り組んでいる。オーガンジーの袋に入れると、干し葉の葉こぼれを防げ、香りも発散する、何よりむき出しの干し葉よりおしゃれだ。レモングラスやゲットウとブレンドした「匂い袋」は和紙のパッケージで、敬遠しがちだった若い人に受け入れられるよう、ソフトなイメージ戦略を展開する。製品は、ことし4月にオープンした「もとぶかりゆし市場」に出荷、特産品の注目株になっている。さらに「ふる里納税の返礼品」に採用され、町はヤマクニブーを「本部町の香りに」と支援に乗り出した。

 昨年から兼市さん、康子さんとともに作業に従事する小百合さん。「本部のヤマクニブーを絶やしてはいけない」と語った祖母の思いは確実に次世代へ届いている。

(伊芸久子)



プロフィール

なかもと けんいち
 1937年生まれ、本部町出身。伊豆味中学校卒業後、家計を支えるため農業に従事。PTA会長、本部町議会議員を3期務める。自己流で三線を始め、一念発起し琉球古典音楽三線、優秀賞を経て教師免許取得。4年前に義母の願いから妻と共にヤマクニブーの干し葉作りを引き継ぐ

なかもと さゆり
 1965年生まれ。本部町出身。日本女子体育短大を卒業。高校・短大時代、走り幅跳びで国体、インターハイに出場。金融機関に就職後、リゾートホテル支配人を経て独立。セラピストの仕事をしながらヤマクニブーを継承していこうと、知人とともに加工品を作り始める

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仲本 兼市さん 仲本 小百合さん
朝はセミの大合唱、日没にクロイワボタルが乱舞する伊豆味。家族で経営する喫茶「森の宴」前で、オーガンジーの袋入りのヤマクニブー、匂い袋を手にする仲本兼市さん、小百合さん親子。製品は、「もとぶかりゆし市場」で販売する 
写真・村山 望
仲本 兼市さん 仲本 小百合さん
梅雨明けのころ、小さな黄色い花を咲かせるヤマクニブー。伊豆味で「カバサンギー(香りの木)」と呼ぶ
仲本 兼市さん 仲本 小百合さん
蒸す前に、ヤマクニブーの葉を束にする康子さん(左)と小百合さん
仲本 兼市さん 仲本 小百合さん
ナナメーナービで蒸す作業に入る兼市さん
仲本 兼市さん 仲本 小百合さん
伊豆味で50年間ヤマクニブーの干し葉作りを続けた古堅千枝さん
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