「表紙」2017年03月16日[No.1664]号
父を超えていけ
昨年11月に行われた全国中学生空手道選抜県予選大会の1年女子形を、喜屋武柚希さん(13)が制した。柚希さんは小学3年生のとき、父の喜屋武敦さん(49)が開いた空手道場に入門した。「おとなしくて口数は少ないが、芯は強い」と、敦さん。いざ試合となると、集中力と人一倍の負けん気で勝負強さを発揮する。今月末、埼玉県で開かれる全国大会の出場権を獲得した娘に、敦さんは「僕はかばん持ち。連れて行ってもらえるのはうれしい。おやじを超えてしまった」と笑う。
道半ば、空手人生楽しくもあり
大学受験浪人2年目の二十歳。格闘技が好きだった喜屋武敦さんはもっと強くなりたいと思い、後輩の誘いで出身地の西原町にあった故比嘉清吉さん主宰の小林流志道館比嘉道場の門下生となった。
比嘉道場では、首里士族に受け継がれた「首里手」の流れをくむ小林流の空手を学んだ。比嘉清吉さんを師と仰ぎ、形・組手を会得し競技で勝つようになると、闘う相手は己だと気付かされた。「年齢を重ねるほど、技と精神の鍛錬を積むほど奥深い武術と知った」
比嘉道場の門を叩いてから29年、「道半ばだが、楽しくて仕方がない」が空手を続けてきた理由だ。敦さんは、喜屋武道場に通う14人の子どもたちにも空手が楽しくなるよう指導する。空手が好きになり、楽しいと思ったら伸びは早いという。長女の柚希さんの躍進が物語っている。極めるには奥が深すぎる、それでも楽しく。それが空手家、敦さんのスタンスだ。
空手家、経営者、役者
本部町渡久地、八重岳を望む丘陵に立つ4棟のコテージ。敦さんは東京の大学生活を終えて、父が定年後は山奥で暮らしたいと移築した古民家を基に、宿泊施設の経営に乗り出した。海洋博公園にほど近い立地、ロケーション、赤瓦の家やログハウスなどの滞在スタイルで観光客を引きつけ、リピーターを増やした。
「コテージ経営は軌道に乗ったが、安定した暮らしに心定まらず」と再び上京した。東京でエイサー集団に所属し、イベント企画に活路を見いだした。東京で沖縄型のエンターテインメントを創り出した経験が、帰郷後敦さんに新たな役を与えた。
「酔っぱらい役と悪役しかこない」という付き合い絡みのオファーは、代表的なミュージシャンのプロモーションビデオ出演に始まり、香港映画や日本映画に地元役者としての起用だ。自らは空手をエンターテインメントに特化した舞台の演出を手掛けた。
コテージ経営を本職に役者の領域に踏み込んでも、空手家の根幹はぶれない。敦さんの主軸は、県内2カ所の空手教室での指導と本部中ただ1人の門下生である柚希さんや小学生たちの育成だ。
県代表選手として
2016年11月27日、全国中学生空手道大会の出場を懸けた県予選の1年女子形の個人戦。柚希さんが通う本部中学校に空手部はなく、1人で本部中を背負って立ち、「一本でも旗が上がれば…」と無心に演武し、初めて大きな大会で優勝した。
柚希さんは中学生の大会に出るため、昨年4月から自分の流派以外の形を練習し始めたが、最初の大会は初戦敗退、次の大会は2回戦敗退だった。「正直半年かけて準決勝に進めるぐらいになればいいと思っていた。優勝できたのは予想外」と、敦さんは一人でも黙々と練習した娘の頑張りの結果に目を見張った。
今年1月の国頭地区新人大会には1年生ながら優勝したが、「全国大会を前に負けるわけにはいかなかった」と、プレッシャーを感じたのは敦さんだったという。「普段は1人ぼっちで練習しているので、いろんな選手と試合できるのがうれしいし、空手を志す共通の仲間と交流できるのが楽しい」とほほ笑む柚希さんは、まだ茶帯の二級。空手の楽しさを知った無欲の勝利者なのかもしれない。
「空手の本場沖縄県の代表選手として全国大会でしっかりと演武したい」と語る柚希さんに、敦さんはコーチとして観客席からげきを飛ばすといい、力強く娘の背中を押す。
(伊芸久子)
プロフィール
きゃん あつし1967年西原町生まれ。東洋大学卒業。高校卒業後沖縄小林流志道館で空手を習い始める。大学卒業後、本部町でコテージCANACの経営を始める。2006年桜坂市民大学で空手講座を開講。2012年本部町で喜屋武空手道場を始める。空手の指導に励む傍ら、サザンオールスターズ「神の島遥か国」や「シェルコレクター」「妖怪キング」、CM出演など多彩な活動を展開。沖縄小林流範士7段。沖縄県空手道連盟理事。4人家族、娘2人
きゃん ゆずき
2003年本部町生まれ。本部中学校1年。小学3年生の時に父親が指導する喜屋武道場で空手を習い始める。第3回全国中学生空手道選抜沖縄県予選大会1年女子形の部で優勝。第17回国頭地区中学校新人空手道大会女子形の部で優勝。クラシックバレエ教室にも通う。2人姉妹の長女
写真・村山 望