「表紙」2017年03月09日[No.1663]号
演じながら探す、自分の道
舞台に映画、CM出演で女優活動を広げる幸地尚子さん(37)。以前はダンスと歌に重点を置いた活動を続けていたというが、「ひーぷー」こと真栄平仁さんの勧めで劇団入り。これからは自身のキャリアをより生かせるミュージカル公演を、県内でもっと活発にできたらと夢がふくらむ。尚子さんのがんばりを認め、支える父・敏雄さん(76)は「信じる道を歩んでほしい」と優しくほほ笑む。10代の頃にダンスや琉球舞踊、楽器を学んだ敏雄さんは、尚子さんの一番の理解者のようだ。
喜び感じ、女優道まい進
劇団と劇場が増え、活気づく県内演劇界。その一線で活躍しているのが、劇団O・Z・E(オゼ)所属の女優・幸地尚子さんだ。子どものころから歌とダンスが好きで、アイドルになりたいと夢見ていたという。
「高校生最後の夏の思い出にオーディションを受け、1年間芸能人養成所のレッスン生になりました。卒業後にユニットを組み、テレビやイベントに出演していましたが、20歳過ぎてアイドルからタレントへシフトしたんです」
尚子さんは人気芸人を多数輩出している芸能事務所「オリジン・コーポレーション」のタレントになり、お笑いライブでコントを演じるなどした。1年が経ったころ、「芝居やってみないか」と声をかけたのがテレビ・ラジオの司会や、舞台演出家・脚本家として活躍中の真栄平仁(ひーぷー)さん。
「オリジンには劇団もあり、当時頭だったのが真栄平でした。芝居を始めたら楽しくて、表現することが好きだと気付いたんです」
演じる喜びを体感した尚子さんは、女優道を突き進む。今年は芸歴20周年を迎える記念の年で、伝統芸能やオリジナルの作風を受け継ぎながら演じる意識が強まってきたという。
芸事断ち切り、仕事優先
会社経営の他、青年会議所やロータリークラブなどの役職に就き、多忙な日々を送っていた幸地敏雄さん。
「電気関連に興味を持ち、独学で知識を得て電気工事士の資格を取りました。1950〜60年代、県内北部の住民は自家発電で生活していました。山に柱を建てて送電線を引き、水力発電の設備を整え、24時間電気を使えるようにしたんです」
北部地域の開発に貢献した敏雄さんは人望厚く、社交的な性格でもあったらしい。
「20歳前から現場主任に就いていて、宴会の時は舞台に引っ張り出されました。芸がなく恥をかいて、何か身に付けようと思い習い事を始めたんです」
社交ダンスに琉球舞踊、三線にギター…、始めたからにはある程度のレベルまでマスターしようと、集中して取り組んだ。特に琉舞は40曲以上踊り女形を舞い、もっと本格的に学ぶように師匠から勧められた時期もあったそう。
「でも私が最優先すべきことは仕事。芸事は断ち切りました。好きなその道に娘が進んでくれたので、それでいいんです」
芸歴20年、沖縄色も
敏雄さんの影響が大きいのだろう。この数年で尚子さんは、沖縄の伝統芸能への興味が広がっていったという。
「2011年に沖縄現代演劇協会主催の『尚徳と金丸』の舞台に出演した時、平良進先生と吉田妙子さんに沖縄方言を指導していただきました。その縁で琉舞を習い始め、他のウチナー芝居にも出演しました」
これからの尚子さんは舞台に立ち、沖縄らしさを大切にしたパフォーマンスも取り入れ、観客を魅了しそうだ。
「観光要素がある演劇作品を作るなどして多くの県外の観客にも見てもらい、役者という仕事が成立するシステムを整えなければならないと思っています。個人的には日々精進しながら演技を磨き、芯の通った実力派女優を目指します!」
4月には劇団O・Z・E第50回記念公演、8月には芸歴20周年公演を控えているだけに、舞台で輝く尚子さんの姿を見るのが楽しみだ。
「導かれるように自然に、女優の道に進んでいった娘です。頑張りが伝わってきますし、そのまま進み続けてほしいですね」
敏雄さんは温かな愛情で尚子さんを包み、いつも見守っている。
(饒波貴子)
【幸地尚子さんオススメ公演】
●インヘリット沖縄主催「ナガセ・アイランド」3月29日(水)〜31日(金)
@浦添市てだこ小ホール(特別出演:平良進)
【幸地尚子さん出演公演】
●劇団O.Z.E第50回記念公演「私立はばたき学園」
4月1日(土)〜2日(日)@那覇市テンブスホール
●芸歴20周年公演 8月12日(土)〜13日(日)@那覇市、 8月19日(土)@名護市
プロフィール
こうち・としお1940年生まれ、本部町出身。沖縄電気学院にて専門知識と技術を身に付け、1956年沖電水工事に入社。1965年に、本部電気水道工事社を設立する。その後組織変更と社名変更を経ながら、沖縄電力より送配電線委託工事社指定認可などを受け、事業を拡大。1984年に開設した北星技研工業はベトナム事務所を置き、海外展開にも取り組んでいる。名護ロータリークラブ会長、名護市商工会理事、日本青年会議所沖縄地区協議会副会長なども務めた
こうち・たかこ
1979年生まれ、名護市出身。幼少期は部活や稽古ごとに励む活発な女子で、名護高校在学中は生徒会長を務めた。高校3年生の頃に受けたオーディションをきっかけに、エンターテインメント界へ。ダンサーやタレント経験を経た後に、2003年に劇団O.Z.Eへ入団。劇団主催公演をはじめ、舞台・映画・CMに出演してキャリアを積み、2016年には初座長公演「海を越えた挑戦者たち」(主催:インヘリット沖縄)を成功に収めた
写真・村山 望