「表紙」2018年01月18日[No.1708]号
木地師(きじし)と塗師(ぬし) 飾らず麗しく
上塗りした漆器に波紋のように浮かび上がるセンダンの木目――。名護市で工房を構える漆器の木工、木地師の渡慶次弘幸さん(37)と塗師の愛さん(38)は県産木独特の表情を映した漆器を作る。技術の基本は、共に石川県輪島市で積んだ修業にある。15年前、徒弟制度が生きる北陸の古い町で、弟子入りからお礼奉公、職人として7年間を暮らした。「2人だったから乗り越えられた」と、弘幸さん。木地作りと塗り、輪島での分業が結実して、加飾しない漆塗りの深みのある器が美しい。
輪島に育まれた職人夫婦
2008年6月、輪島塗の産地。沖縄から来た職人同士の結婚に木地屋や塗師屋の親方、町職人が集い祝った。それぞれ親方の工房で弟子として働いた4年間の年季が明け、お礼奉公の1年を経て弘幸さんと愛さんは晴れて夫婦となった。
二人の出会いは17年前、那覇市国際通りの民芸品を扱うビルの異なる店舗で働いていたころ。弘幸さんは木工の仕事がしたくて、県工芸指導所(現県工芸振興センター)へ入所する。それを聞いた愛さんも手仕事に引かれ1年後に、同所の漆課に入った。
県工芸指導所で一通り技術をなぞると、弘幸さんはノミ、カンナで細工する江戸指物(さしもの)職人の弟子入りを目指し、一足先に上京。
続いて愛さんは輪島に出た。「共に一人前になるまで頑張りましょう」と、遠距離恋愛を覚悟した二人だが、東京で弘幸さんは弟子入りがかなわず、当時のあまりのみすぼらしさは愛さんを泣かせた。
輪島では、愛さんが塗師の親方に弟子入りした。修業の楽しそうな様子を聞き、弘幸さんは輪島を訪ねた。
年季明け後、結婚
「木工を志している愛ちゃんの彼氏が来ているらしい」。輪島は小さな町。話は知れわたり、ソメイヨシノが葉桜になりかけた花見の宴に、酒の入った親方衆に呼ばれた弘幸さんは、そこで後に親方となる人に出会う。
「その木地屋は江戸指物同様、手工具を使って仕上げることを得意としていたので、ぜひ弟子入りしたいと思った」
弘幸さんは手加工にこだわったからこそ、東京では電動工具が中心の他の木工仕事には就かず、苦境に耐えていた。「もし、東京で弟子入りがかなっていたのなら、こうして二人で漆器を作っていることもなかっただろう」と、振り返る。
輪島塗は分業制で生産される。弘幸さんは塗り厚を計算し、注文通りの寸法、曲線をかたどる。愛さんは木地の補強、木目を消すなどの下地塗りから中塗り、上塗りをする。早くきれいに同じ完成度で期限内に量産するのが職人の仕事である。二人は、「年季が明けるまで結婚はしない」と決めて一人前を目指した。
弟子としての4年の期間が終わると、「年季明け式」と称した親方と弟子が盃を交わす祝宴が開かれる。二人は職人夫婦となり長女が生まれ、7年間を輪島で暮らした。
県産材で暮らしの器を
名護市中山、県道が走る嘉津宇岳の裾野に弘幸さんと愛さんが工房を構えて8年。輪島から戻り、独立するために選んだ場所の近くには小さな川が流れ樹々が茂る。山原の静けさは、輪島ののどかさを思わせている。
弘幸さんは当初、輪島で使い慣れた木とは異なる県産木に戸惑う。例えばセンダンは木目が粗く、それまでやってきた輪島塗のツルンとした塗りには向かない。しかし二人で取り組むうちに、木目をつぶさずにそれをプラスに転じて生かす塗りに至った。「地元の木の素材感を残し、艶を抑えた気軽な仕上げにすることで普段の食卓でも気兼ねなく使える、今の生活になじむ器になったと思う」と、愛さん。
木地師の弘幸さんは、木材が手に入るとそれぞれ木質を生かしてこんな木地にしたよと、愛さんに渡す。愛さんは木地の風合いを崩さず、強度を保つよう塗りを凝らす。そういう風にして二人の漆器が生まれる。輪島でのそれぞれの技術が沖縄で結実した。
(伊芸久子)
円満の秘訣は?
弘幸さん: 妻が料理、夫は掃除、洗濯など家事分担。相手の領域に踏み込まないというルールを輪島から続けている愛さん: 一緒に仕事をしているので、いいものはいい、嫌なことは嫌と、仕事に限らず正直に話して解決する
プロフィール
とけし・ひろゆき: 1980年浦添市生まれ。民芸品店勤務を経て、2001年県工芸指導所(現 県工芸振興センター)木工卒業。03年石川県輪島市の木工所に弟子入りし、指物と刳物(くりもの)木工技術を修得。07年4年間の年季とお礼奉公を終えて、08年愛さんと結婚。10年に帰郷し、名護市に愛さんとともに工房を構え独立。木地師とけし・あい: 1979年浦添市生まれ。2002年県工芸指導所漆課卒業。03年石川県輪島市の漆工房に弟子入りし、07年季明け。09年2カ所の工房を退社。10年夫の弘幸さんと帰郷し、名護市に工房を構え独立。2児の母。塗師
写真・喜瀨守昭