沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1718]

  • (日)

<< 前の記事  次の記事 >>

「表紙」2018年03月29日[No.1718]号

ザ夫婦

ザ・夫婦(み〜とぅ) 51


椛(もみじ)弁当 城戸 伸一郎さん
城戸 理加さん

思い詰まったこだわり弁当

 「紅芋入り手捏(ご)ねハンバーグ」「ピィパーズタコライス」……。県産素材をふんだんに使ったメニューが店頭に並ぶ。那覇市田原の「椛弁当」は城戸伸一郎さん(40)が10年前に創業。宅配をメインに、店舗販売も行っている。安心・安全・健康をコンセプトに、揚げ物や塩分を控えたヘルシーな弁当を作り続けてきた。多くのリピーターに支持される体にやさしい弁当を、調理を担当する妻の理加さん(40)と6人のスタッフとともに届けている。



妥協せず 安心・安全を届ける

 安心・安全・健康をテーマに、県産・国産素材を使ったこだわりの手作り弁当を提供する「椛弁当」。こんにゃくの粒を米に混ぜて炊いた低カロリーの「こんにゃくごはん」や自家製のこうじで仕込んだ肉や魚、揚げ物を使わないメニューは幅広い年齢層に支持されている。

 新鮮な野菜を仕入れ、加工食品は一切使わず、手作りにこだわってきた。「自分の家族に食べさせても安心なものをお客さんにも提供したい」と伸一郎さんは話す。

 青森県八戸市出身の理加さんは札幌大学4年のときに国内交換留学制度を利用し来沖。大学卒業後に始めた短期のアルバイト先で伸一郎さんと出会った。

 仕事では接点がほとんどなかった二人。アルバイト期間終了後も仲間同士で開いた飲み会などで会ううちに交際に発展。24歳で結婚し、翌年に長女の虹玖(しずく)さん(15)、3年後には次女の椛々萌(ももも)さん(11)に恵まれた。

 鹿児島県の大学を中退後に帰沖した伸一郎さんは、運送業やサンゴ移植の仕事に携わるが、どちらもうつを発症し退職した。自分が本当にやりたいことを考え、小さい頃から好きだった料理の道に進むことを決意。宅配弁当店で働き始めた。しかしまた壁にぶつかった。客の要望を聞き、会社に改善を要請しても、予算などを理由に取り合ってもらえなかった。宅配弁当のニーズを感じていた伸一郎さんは自分で理想の弁当を作ろうと独立を決意した。

やりたいことに忠実に

 「弁当屋をやりたい」。数回の転職後、今度は弁当店を創業するという伸一郎さんに理加さんは反対しなかった。「人に雇われることが無理な人。自分がいいと思ったことをやるしかもう生きていく道はないと感じた」と振り返る。

 2008年に「椛弁当」をオープン。家族会議の結果、店名は次女・椛々萌さんの一字を取った。宅配をメインに店頭販売やオードブルなどの特別注文にも対応している椛弁当。理加さんが調理、伸一郎さんが営業や仕入れ、配達、ホームページでの発信を担当している。

 2年前にはネット販売の「にじデリ」を開始。こちらは長女・虹玖さんの名前にちなんで命名した。椛弁当でおなじみの総菜や、島野菜やフルーツを使ったスイーツなどをネットで受注販売している。

 出社してすぐに配達や買い出しに出てしまう伸一郎さんに対して、初めは「何で私ばかり中で働かないといけないの」と思っていた理加さんだったが、それは間違っていたと気付いた。「外に出て、ニーズをキャッチし、新しい風を吹き込んでくれる。途中から、店の経営は意識が高い人じゃないとできないと分かるようになりました」

滋味豊かな味目指して

 今年創業10周年を迎える椛弁当。1年前にリニューアルし、店舗を伸一郎さんが改装した。利益を度外視することも多々ある。経営者になっても妥協を許さない伸一郎さんの姿勢は変わらない。

 「自分があれこれやりたいということを、理加は文句も言うけどやってくれる。だから成り立っている。難儀させているとは思うし、もう少し簡素化できる体制作りをしたい」

 理加さんやスタッフの負担を減らすために、副菜を固定化するという案もあったが、理加さんが首を縦に振らなかった。「毎日食べてくれるお客さんの顔を見ると、副菜の日替わりはやめられない」。理加さんのこだわりだ。

 今後はネット通販「にじデリ」を成長させたいという二人。「じんわりとおいしいと思ってもらえるような『滋味』を目指しています」という理加さん。二人の思いが詰まった弁当を今日も作り続ける。

(坂本永通子)
(おわり) 



円満の秘訣は?

伸一郎さん:理加だからこそついてきてくれて、成り立っているとみんなに言われます。
理加さん:彼は危ない運転をする運転手や夜間徘徊している中学生を見ると放っておけず、すぐ注意してしまう人。そういう姿を目の当たりにするとかなわないなと思います。心の広さが宇宙的で神様的。私の信仰心が厚いのでしょうか(笑)。

プロフィル

きど・しんいちろう: 1977年生まれ。那覇市出身。鹿児島県内の大学を中退後、帰沖。20歳で運送業を創業。26歳でサンゴ移植活動に携わる。その後弁当店などの勤務を経て2008年9月、30歳で「椛弁当」を開業。那覇市の「健康づくり協力店」、県の「おきなわ食材の店」に認定。沖縄食材スペシャリスト

きど・りか: 1977年生まれ。青森県八戸市出身。札幌大学在学中に交換留学で沖縄大学へ。卒業後も沖縄に在住。短期のアルバイトや県や学校の臨時職員などを経て伸一郎さんと結婚。2女の母

椛弁当
那覇市田原241–10
☎098(859)0915
http://www.momiji-bentou.com

このエントリーをはてなブックマークに追加



城戸 伸一郎さん 城戸 理加
店舗の前に立つ城戸伸一郎さんと理加さん。毎日のように通うリピーターも多い。東日本大震災後には、伸一郎さんが同業者に呼びかけ、那覇市に避難していた人を対象に弁当の無償提供を行った。
写真・村山 望
城戸 伸一郎さん 城戸 理加
理加さんの実家がある青森県八戸市に家族で訪れた時。椛弁当オープン直前の2008年5月
城戸 伸一郎さん 城戸 理加
家族4人での記念写真。2011年
城戸 伸一郎さん 城戸 理加
左から:人気のピィパーズ(島コショウ)を使った「ピィパーズタコライス」(600円)と会議やお祝い用の「仕出し弁当」(1080円)。1日約100食を作る
>> [No.1718]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>