「表紙」2018年05月03日[No.1723]号
現代に受け継がれる琉球張り子
豊永盛人さん(琉球張り子作家)
「必然性」の中で生まれる作品
琉球王国時代から作られていた琉球張り子。かつて旧暦5月4日「ユッカヌヒー」に開かれた玩具市で売られていた人気のおもちゃだ。明治時代以降、手作りの張り子は衰退した。途絶えかけたその伝統を受け継いでいる数少ない作家の一人が、豊永盛人さん。伝統の張り子を追求しつつ、オリジナルの作品も生み出している。
那覇市桜坂通りの路地裏にあるショップ「玩具ロードワークス」。「チンチン馬小(馬乗り)」「ウッチリクブサー(起き上がり小法師)」などの古典的な琉球張り子から、「鳩パン」「おにぎりスズメ」などユニークな発想から生まれたオリジナルの作品がそろう。
この琉球張り子を作っているのが同店のオーナーで琉球張り子作家の豊永盛人さん。張り子を作り始めて17年がたつ。「琉球張り子も好きで集めていたが、学生の頃は張り子を作りたいとか、作ることになるとは思ってもいなかった」と振り返る。
手探りで技法を復元
県立芸術大学で彫刻を学んでいた豊永さん。約1年間休学してアメリカに遊学したとき美術館で目にしたアフリカの彫刻に衝撃を受けた。「全く無名の人が作ったものなのに、見る者をこんなにしびれさせる。そういうものはどうして生まれてきたのかを考えたときに、『必然性』が大事だと思った」
必然性──。それはその土地や環境から生まれてくる自然な形。そこにある素材や道具、アイデアで生まれてくる形に感動のもとがあると感じた。
転機は大学卒業前後。友人から張り子を作ってみないかと誘われた。「誰かに求められているというのも必然性なのでは」とチャレンジを決意。独学で作り始めた。
それからは手探りの日々。 実物を見たくても、琉球張り子は戦火で焼けてしまい県内にはほとんど残っていなかった。県外の民芸館や博物館、美術館…。古い琉球張り子が所蔵されているところを訪れ、調査を重ねた。江戸時代から代々受け継がれてきた三春張り子を作っている福島県の職人のもとにも足を運び、実際に張り子作りを目にした。
いいものは残っていく
琉球張り子作家は数少ないが「プレッシャーは感じない」と言い切る。好きなことをやって、いいものを作りたいだけという豊永さん。「いいものが残れば、大事にしてくれる人が出ると思うし、感動してやりたいという人がいずれ出てくるかもしれない。今の自分にそういうものが作れているか分かりませんが」と話す。
現在、豊永さんの作る張り子は県内外で多くの人の心をつかんでいる。制作に追われる日々を過ごしているが「作りたいものはいろいろある」と探求心は尽きない。アメリカで豊永さんが見たアフリカの彫刻のように、この土地で必然性を形にしている豊永さん。今後どんなユニークな作品が作り出されるのか楽しみだ。
(坂本永通子)
とよなが・もりと
1976年嘉手納町生まれ。95年開邦高校美術科卒業。98年アメリカ遊学を経て県立芸術大学彫刻科卒業。2001年に琉球張り子の制作を開始
玩具ロードワークス
那覇市牧志3-6-2
☎098(988)1439
営業時間=10〜18時
休 日=日曜
http://toy-roadworks.com/
写真・村山望
山羊 (1080円)