「表紙」2021年07月15日[No.1888]号
和菓子から洋菓子、法事菓子も手掛ける菓子職人
嘉手納町嘉手納の新町通りにある「琉球旬菓 丸清堂(まるせいどう)」には、魅力ある和菓子が並ぶ。法事用の菓子も手掛け、1日100〜200個、多いときで1,000個以上の注文が入るという。和菓子職人の父・清正さんから受け継いだ店を家族4人で切り盛りする店主の志良堂清盛さんと妻の春美さんに話を聞いた。
「田芋まんじゅう」や紅芋の入った「のぐに」など嘉手納町の優良特産品に選ばれた和菓子をはじめ、豊富な品ぞろえの「琉球旬菓 丸清堂」。以前はケーキやチョコレート、焼きたてパンもあったが、現在は和菓子中心の店として地域の人に親しまれている。特に田芋まんじゅうは幅広い層に人気で、小学生も買いにくるという。また南部や北部、さらには海外の観光客からお土産用に大量の注文を受けるなど、多くの人から支持される菓子店だ。
県外で腕を磨く
和菓子職人の父の背中を見て育った志良堂清盛さん(64)は、子どものころから「お菓子屋さん」になろうと思い、高校卒業後は東京の製菓専門学校を目指していた。しかし、父が腰を痛めて入院。当時、父以外の職人は一人しかおらず、「一人じゃ無理だから手伝ってくれないか」と言われ、東京行きを断念した。
「父が和菓子職人だったので、自分は洋菓子を勉強するため専門学校へ行こう」と考えていたが、その思いがかなわないまま、日々職人の手伝いにいそしんだ。
その後、復帰した父と共に働いていたが、「父から習ったことだけしかできないのは困る」との思いから、30代で東京の服部栄養専門学校の講習会に参加。県内にはないお菓子作りをしたいと、何度も足を運んだ。
ある程度、洋菓子を学んだあとは鹿児島で開催されていた菓秀会という和菓子の勉強会にも参加し、さらに腕を磨いた。
妻の春美さんは「いまでは作れないお菓子はないぐらい。和菓子も洋菓子も、法事菓子もこれだけ作れる人はなかなかいないと思います」と話した。
いまでこそヒット商品も生み出し、清盛さん夫婦と長男、長女で毎日忙しく働いているが、両親から店を継いだあとは売れない時期もあったという。だがその都度、両親の援助や、いいタイミングで結婚式場と取り引きできるようになるなど、落ち込んだときに何かと誰かに助けられながらここまでやってきた。
洋菓子復活? 広がる夢
いつかは洋菓子を復活させたい清盛さんは、そのときのために道具も大切にしまっている。
「将来的に息子がここを継いで、もしまだ体が動くんだったら海か山のどこかでログハウスを建ててケーキ屋をやりたい。自分が作りたいケーキだけ作って、ショーケースには一種類だけ並べて。街ではなく、静かなところで作りたいなという思いがある。 夢だけどね」と楽しそうに話す清盛さん。それに応えるように春美さんも、「これは夢みたいな話だね」といってほほ笑んだ。
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二人が結婚したのは清盛さんが21歳、春美さんが19歳のとき。「妻には若くして苦労かけたなと思っています。結婚当初はまだ若かったから友達と遊んだりしたかったんじゃないかな」と話す。また、「両親には県外へ勉強に行かせてもらったことで、迷惑もかけたと思う。本当に感謝しています」と振り返った。
(﨑山裕子)
琉球旬菓 丸清堂
嘉手納町嘉手納302-1(新町通り)
☎︎098-956-2774