「表紙」2022年01月27日[No.1916]号
みずみずしさが自慢、伝統の島野菜
那覇市の字鏡水に伝わる島野菜、鏡水大根(カガンジデークニ)が旬を迎えている。現在もこの大根が味わえるのは、戦前〜戦後の困難な時代の中で、地域の代表作物を次世代に残そうと尽力した人々の行動があったからだ。栽培・普及に関する思い、そしておいしさについても聞こうと、鏡水大根事業協同組合のメンバーを訪れた。
畑で育つ鏡水大根を目にした時、思わず「おおっ」と驚きの声が出た。大根が大きいことは事前に知っていた記者だが、実物は迫力がある。通常の大根の2回り、いや3回りはある太さだ。
「これは5、6㌕くらいかな」。話しながら、大根を確認しているのは、鏡水大根事業協同組合の理事長・新垣吉雄さん。時折、ドアをノックするように大根を叩いているが、これは品質を確認するための「打診」。音で内部の空洞の有無を判断している。空洞が確認されなければ、みずみずしく、きめ細かい身質を持った鏡水大根に成長したサインだ。
集落の歴史伝える
「大根の花は散る頃になるとピンク色がきれいになる。今、那覇空港の立体駐車場のあるあたりが戦前の鏡水集落で、長大な大根畑もあったから、花が咲く頃の見栄えは見事だったみたい。鹿児島の商人が写真を撮るためにわざわざ来たそうだよ」
集落の人からかつて聞いた話を思い出してくれたのは、新崎實さん。今回取材した畑の主である。
那覇市の字鏡水(旧小禄村)は、戦前、旧日本軍の飛行場が建設されていたことをきっかけに、戦後も米軍が土地を接収する。沖縄の日本復帰後も自衛隊駐屯地と那覇空港の用地として土地の継続使用が決まり現在に至っている。住民は各地に移住を余儀なくされた、という歴史を持つが、故郷の名物だった島野菜を残そうと、新垣さんらは協同組合を発足させた。
新垣さん、新崎さんによると鏡水の住人たちは、戦後しばらくの間も接収された土地を黙認耕作地とし、大根栽培を行っていたとのこと。だが、朝鮮戦争が始まり、軍の規制が強化されたことで遂に栽培の継続が不可能となる。しかし、農家の人たちは鏡水大根を未来へ残そうとあきらめなかった。畑を手放しながらも小禄村の農協へ2500粒の種を預けていたのだ。
時代は流れて2006年。種の所管は農協から県の農業試験場(現・県農業研究センター)に移っていたが、協同組合のメンバーは再び栽培することのできる状態でこれを発見。100粒を分けてもらい、それぞれの畑で栽培を始めた。栽培は難しいが、現在ではブランドとして商標を取得、学校給食にも毎年提供できるほどになっている。
おすすめの食べ方は?
一般的な青首大根と比べると軟らかく、水分量が多い食感を楽しめる鏡水大根。質感の違いについて、新垣さんは「包丁を入れるとスイカみたいに弾けるよ」と話す。
旧正月を祝う人が多かった頃は、大根は年末年始に花を添える食材でもあった。沖縄の正月に欠かせない食材と言えば豚肉だが、鏡水や小禄地区の人たちは、家庭で切り干しした鏡水大根と共に煮付けを作ったのだという。新崎さんは「今でも大根と煮込んだラフテーは小禄名物です」と言って目を細める。
鏡水大根はおでんやソーキ汁、足テビチとの煮付けに最適。厚切りしたものを下ゆでしてから煮込むと、短時間で味が染み込むだけでなく、大根そのものの味がいっそう楽しめる。また、皮部分も青首大根に比べて薄く軟らかい。ニンジンと共に千切りし、トウガラシと炒めると格別な一皿ができあがるそうだ。
協同組合では現在、鏡水大根を次世代に受け継ぐため、栽培を担う若手農家の育成にも取り組んでいる。一般の家庭では、まずその味を楽しんで、歴史ある島野菜の普及に協力してほしい。
(津波 典泰)
鏡水ふれあい会館
那覇市小禄909-4
☎︎ 098-859-2605