「表紙」2022年06月30日[No.1938]号
命と平和の大切さを伝える
沖縄戦の慰霊の月である6月。沖縄にルーツを持つ谷ノ上朋美さんが、沖縄戦をテーマにしたひとり芝居「ゆんたくしましょうね」を那覇市銘苅のアトリエ銘苅ベース(9~12日)と沖縄市中央のシアタードーナツ(15・16日)で上演した。大阪で生まれ育ち、沖縄のことを知らない自分が沖縄戦の舞台を上演することにためらいもあったと話すが、それでも舞台に立つことを決意したのは、沖縄戦でたった一人生き残った祖母・又吉純子さんの存在に、あらためて命の奇跡を感じたからだという。
「私は半分大阪、半分沖縄」と話す谷ノ上朋美さん。
1972年生まれの復帰っ子世代。母が浦添出身だったが、生まれ育ったのは父の出身地である大阪。子どもの頃は、沖縄への帰省には費用がかさんだため、わずか2度ほどしか来られなかったという。
短大卒業後、役者に。人権問題をテーマにした舞台で全国を巡業した。しかし、もっと身近な人の役に立ちたいと思い、27歳で芝居を離れ、30代で看護師になった。体が徐々に動かせなくなる難病である筋ジストロフィーやALSの患者の看護に従事し、40代では漢方不妊カウンセラーとして働いた。
看護師として難病の患者と向き合い、不妊カウンセラーとして、産みたくても産めない人の苦しみに向き合ったことで、谷ノ上さんにある思いが生まれた。
「どんな人もどんな状況であれ、生きているだけで、今の自分で大丈夫だという安心感を持って生きれるということが大事。そう思った時に、それを芝居で伝えていきたいと思ったんです」
44歳から役者としての活動を再開。マイノリティーに焦点をあてたひとり芝居の上演を開始した。
生き残った祖母への思い
同じ時期、沖縄に頻繁に足を運ぶようになった谷ノ上さん。「その頃、おばあちゃんの家族全員の名前が記されているので、おばあちゃんと母と3人で平和の礎にお参りに行こう、と連れていってもらいました」
お参りに合わせて県平和祈念資料館を見学し、4人に1人が命を失った沖縄戦の状況を知り、ショックを受けた。
「おばあちゃん、よう生きてくれてたなぁ、と。やっぱりその場に実際に足を運ばないと分からないし、おばあもわざわざ『戦争大変やった』って言わないんですよ」
祖母からつながる命のつながりに奇跡を感じた谷ノ上さんは、脚本家の樋口ミユさんに「おばあが沖縄戦でたったひとり生き残ったことを伝えるお芝居を書いてください」と依頼。樋口さんと県内の戦跡や基地を巡り、ガイドに話を聞く中で、ひとり芝居「ゆんたくしましょうね」の骨格ができあがっていった。
ここがスタート
「ゆんたくしましょうね」は、谷ノ上さん自身をモデルにした「私」が、沖縄戦で生き残った「おばあ」のことを知ろうとする中で、沖縄戦の過酷さを追体験していく物語。
沖縄戦や沖縄のことを「何も知らない」私が、ガイドと共に訪れた壕やガマで、戦死した女学生や陸軍兵らの意識に入り込んでしまい、戦争の過酷さを実感する。その経験が自分自身をも振り返らせ、命の奇跡と大切さを感じていく。
「本当に何も知らない私が知っていく、それで何を感じたのか、これからどうしていくのかというお芝居です」
制作には葛藤もあった。「いくらおばあちゃんが沖縄でも、沖縄に住んでいるわけでもない。何も知らないくせに、って絶対言われると思った」と胸の内を明かす。「でも、知ってる人間しか言ったらあかん、となってしまうと、誰も何も言えなくなる、と思ったんです」と上演を決意した。沖縄に親戚以外の知己もほとんどいなかったが、取材や公演の準備を通して多くの人との縁がつながったと感謝する。
この6月、那覇市内で5公演、沖縄市内で2公演を終えたばかりだが、7月31日にも南風原文化センターでの上演が決まった。「この先10年後、20年後もこのお芝居をやれるならやりたい。本当にここがスタートだなと思っています」と再演への意欲を見せる。
「若い人や内地の人にもぜひ見てほしい。お芝居を見ていやな気持ちになってもいい。感動は感じて動くこと。何かを感じて心が動いたら、次の一歩につながると思います」
(日平 勝也)
谷ノ上朋美ひとり芝居
「ゆんたくしましょうね」
【日時】7月31日(日) 15時開演(14時半開場)
【場所】南風原文化センター 企画ホール
【問い合わせ】(株)プランニングハウス・ウエスト
【メール】contact@puremonologue.com
【電話】06(6223)7776