「表紙」2022年08月25日[No.1946]号
高校3年での目覚め 日本選手権に2度出場
「100㍍を全力疾走して、人との縁を大事にしていたら、僕の人生が『わらしべ長者』のように好転して今に 至っています」。陸上クラブ「アスリート工房」の代表を務める譜久里武さん(51)にとって、陸上は人生そのもの だ。若かりし頃に男子100㍍で日本選手権や国民体育大会に出場し、40代で出場した世界マスターズ陸上で世 界一に。50代に入った今も「走る」意欲は全く衰えず、後進の育成にも注力する。バイタリティーあふれる活動で 沖縄陸上界を引っ張る譜久里さんに話を聞いた。
久米島町山城出身。周囲を 見渡せば海、山、川。「小さい時 はガキ大将的な感じで、田舎で すくすくと育ちました」。久米 島中学、久米島高校時代はバス ケットボールや野球に親しみ、 意外にも「地区大会の練習で先 生がめちゃくちゃ走らせるか ら、陸上は嫌いだった」。転機が 訪れたのは高校3年の時。部活 を引退後にあった町の運動会 でのことだ。
地区から男子100㍍に出 場予定だった二つ下の後輩が 県大会と日程が重なって出ら れなくなり、譜久里さんに白羽 の矢が立った。高校で182セ ンチまで急激に身長が伸び、野 球部で4番を任されるほどの 運動神経を備えていた。出場す ると、いきなり 11 秒4の大会記 録を出して優勝。トップでゴー ルを駆け抜けた達成感ととも に、気付いた。「俺、足速いんだ」
IT系の専門学校に願書を 出していたが、競技を本格的に 始めるために沖縄大学に進学。 専門的な練習を積み、安定して 10 秒台で走れる力を付け、大 学3年時から県民体育大会の 男子100メートル、200 メートルで 10 連覇を達成。社会 人1年目だった1993年の 東四国国体では国内のトップ選手が集う成年Aの部で県勢と して初めて決勝に駒を進め、5 位入賞を果たした。その後、日 本選手権にも2度出場して準 決勝まで進むなど、沖縄の短距 離界を牽引した。
40代で達成した世界一
35 歳で一度競技を引退。人材 派遣会社で仕事をする中で 93 ㌔まで体重が増え、ダイエット を始めた。そんな時、幅広い年 齢層の人が出場する「マスター ズ陸上」の存在をインターネッ トで知り、さらに 40 代で100 ㍍を 10 秒台で走った日本人が 歴史上1人もいないということ に気付く。
「『もう一度スポットライトを 浴びれる日がくるんじゃない か』と思って、頭を後ろから殴 られたような衝撃でした」。周 囲から反対や嘲笑を受けるこ ともあったが、「希望に満ちてい たから、全然気になりませんで した」と 37 歳で本格的に競技を 再開した。
専門書を読みあさったり、他 競技の練習法を研究したりし て練習に工夫を凝らし、 40 歳で 出場した名桜大学の記録会で 見事に 10 秒 87 を記録。日本人 にとどまらず、アジア人として 初めて 40 代で100メートル を 10 秒台で駆けた。
2017年にはマスターズ世 界室内陸上の 60 メートルで金 メダルを獲得。翌 18 年にはタレ ントの武井壮さんや元日本記 録保持者の朝原宣治さんらと 世界マスターズの 45 〜 49 歳ク ラス400メートルリレーに出 場し、世界一に輝いた。さらに 19年のアジアマスターズでは 20 年 ぶりに同種目の世界記録を樹 立するなど、輝かしい功績を残 すとともに、マスターズ陸上の 普及に貢献してきた。
次世代の育成が役割
13 年に「お世話になった沖縄 の人、全国の人に恩返ししよう と思ってつくった」というアス リート工房は、設立から9年が たった。子どもたちの育成に加 え、近年は「アスリート採用」に も力を入れる。今年6月の日 本選手権では、コーチをしなが ら競技を続ける与那原良貴さ ん( 26 )が譜久里さん以来、県勢として 22 年ぶりに男子100 メートルで準決勝を走った。次 世代の育成は「自分の役割」 (譜久里さん)と言い切る。
51歳となったが、競技への意 欲も衰えを知らない。「世界マ スターズでまた世界一になりた いし、そこを目指すプロセスが 僕の日常を輝かせてくれると 思っています。好きな陸上をや りながら、子どもから大人ま で、走る素晴らしさを伝えてい きたいです」
(長嶺真輝)
陸上クラブ「アスリート工房」教室
拠点は沖縄県内12カ所、神奈川県1カ所
☎080‐3188‐2170
https://athlete-koubou.okinawa/