「表紙」2022年09月08日[No.1948]号
一晩かけて行うトビイカ漁 海人の仕事を知る
南城市玉城の奥武島。漁業が盛んな島の名物といえば、干しイカだ。やわらかくおいしい だけでなく、イカを干す光景は夏の風物詩でもあり、新聞・テレビにも毎年取り上げられて いる。しかし、原料となるトビイカの漁について知っている人はどれほどいるだろう。島の 海人たちにレキオ記者が同行、夜通し行われる漁の様子を記録した。
7月下旬の晴れた日、奥武 島西岸の桟橋から「姫伽丸」 (ひめかまる、 19 ㌧)にレキオ記 者が乗り込んだ。船長の平良 勝美さんは漁業を始めて 20 年 以上のベテラン。知念漁業協同 組合に所属しトビイカ漁を 行っている。 17 時の出港を前 に、甲板では船員の森原海さ ん、小林大樹さんが仕掛け作 りや船の点検をてきぱきとこ なしていた。
闇夜に操業
奥武島から出港した船は、 約2時間かけて久高島沖のパ ヤオ(浮漁礁)に到着。漁が始 まる頃には日も暮れていた。ト ビイカ漁は闇夜に合わせて行 われており、この日も新月の前 夜であった。月明かりが少ない 夜、船上から集魚灯を照らす ことで、水面近くにトビイカを 集めることができる。
漁の仕掛けは長さ約 50 ㍍の 釣り糸に1㍍間隔で擬似餌が ついたもの。電動のリールで仕 掛けを上下させ、擬似餌に飛 びつくトビイカを釣り上げる。 仕掛け自体はシンプルだが、イ カの群れがいるポイントは、経 験を積んだ船長にしか見極め られない。平良さんは潮の流 れ、水深、天候、近くで操業す る他船の動きなど複数の要素 を参考にしているという。
仕掛けは海底に向かって 真っすぐに下ろす必要があり、 これを「縄が立つ」と言う。縄が 立つには漁の間、潮流に対して 真正面に船首を向け続ける必 要があるが、これは外洋の波の うねりをもろに受ける姿勢で もある。船に不慣れな記者は一 晩中船酔いに苦しめられるこ ととなった。
漁を始めてからしばらくは ポツポツとしか釣れなかったト ビイカだが、深夜にかけてしだ いに数が増えてきた。森原さん と小林さんは釣れたイカを確 保し、船の冷凍室に入れてい く。トビイカはスミを吐きなが ら勢いよく船に上がってくる ため、二人とも衣服を汚しなが らの作業だ。「大漁の時は„イ カのじゅうたん“ができます。 足の踏み場もないくらい釣れ るんですよ」と森原さんが教えてくれた。
かつてはサバニで
翌朝4時ごろまで漁を行っ た姫伽丸は朝日を背にしなが ら、奥武島に戻ってきた。漁港 に着いたのは6時すぎ。船の係 留を終えると、平良さんはす ぐさまトビイカを車に載せ替 え、セリが行われる知念漁協ま で運ぶ。今回の水揚げ量は約 300㌔。平均よりも100 ㌔多い成果があった。
セリから戻った平良さんと 船員の2人は、さっと朝食を済 ませると今度はスク(アイゴの 稚魚)漁をする別の船に乗り 込んでいった。交代で仮眠を 取っていたとはいえ、一晩働いた 後である。そのエネルギーには 驚くばかりだ。
かつてはサバニの船団で闇夜 の海に繰り出し、トビイカ漁を していたという奥武島の海人 たち。多くの危険もある中で 漁をしていたと推測される。し かしこの環境が海人同士や島 で彼らを待つ家族に強い結束を生み出したようだ。そんな背 景があるからこそ「今でも島の 漁業には活気があるんです」と 平良さんは語る。
トビイカの刺身や干しイカ は島内の鮮魚店や食堂などで 購入できる。新鮮なものはイカ スミ汁やイカスミジューシーに もおすすめだ。平良さんや知念 漁業の関係者は今後、県内各 地に販路を広げていきたいと 語る。口にする機会があれば、 その漁の様子にも思いをめぐ らせてみてほしい。
(津波 典泰)
(中)釣れたばかりのトビイカ
(下)姫伽丸の左舷側に付けられたトビイ カ漁の仕掛け。
(QRコード)トビイカ漁動画も見れるよ