「表紙」2023年02月23日[No.1972]号
川柳がつないだ出会いに感謝
五七五で人生の喜怒哀楽をときにユーモラスに、ときにシニカルに詠む川柳。豊見城市立中央公民館を拠点 に活動するサークル「川柳とみぐすく」会長の大田かつら=本名・洲鎌恵子=さん(75)は、琉球新報本紙で掲載 中の「新報川柳」選者の顔も持つ。昨年は、川柳の全国大会「美ら島国民文化祭 川柳の祭典2022」の開催にも尽 力した。近年では、川柳を通じて地域の子どもたちとの交流も盛んに行っている。
大田かつらさんは1947年 生まれ、国頭村奥間出身。「川 柳とみぐすく」の代表、新報川 柳選者を務めている。柳号の大 田かつらという名は、 60 年代に ベストセラーだった旅行記『天 国にいちばん近い島』の著者、 森村桂さんの名前と、旧姓で ある大田を組み合わせたとの こと。
川柳を始めたのは今から 23 年前。当時、琉球新報の読者投 稿欄「声」への投稿を続けてい たなかで目に入った新報川柳 がきっかけだったという。
「五七五、十七文字。ああ楽 勝じゃん、と始めたのが間違い のもとでした」と笑う大田さ ん。
初めて新報川柳に掲載され た句は、当時、毎朝ミルクをね だりに来ていたノラ猫を詠 (よ)んだ句、「ノラ猫の拾って くれの目に出会い」。
また、本土の雑誌に掲載さ れたこともあるという句、「子 が生まれ母に感謝の涙増え」に は子育ての実体験を描いた。
「夜中に起きた赤ちゃんにミ ルクを飲ませることなんて知 らなかった。まさか子育てがこ んなに大変だったとは。親に反 抗ばかりして悪かったな、と感じ涙を流した」と振り返る。大 田さんはこの句で全国川柳大 会にも出場した。
「川柳は人間探究です。年を 取れば取るだけその年にしか できない川柳というものがある んですよ。やっぱり『人間を詠 (うた)う』ですから」と大田さ んは語る。
国語力の大切さ伝える
2000年に川柳を始めた 大田さんは、翌年 01 年に「川柳 とみぐすく」の活動を開始し た。現在、所属している会員は 11 人。月に一度お題に沿った川 柳を持ち寄って川柳会を行っ ている。
「サークルで楽しく学んで、 技術や知識を地域に還元す る」ことを目標に掲げる大田 さんは、数年にわたり豊見城 市立中央図書館で「おやこ川 柳教室」や「放課後こども教 室」など、川柳を通じた地域の 子どもたちとの交流にも積極 的に携わる。
昨年は、全国川柳大会「美ら 島国民文化祭 川柳の祭典2 022」のプレイベントとし て「豊見城市ジュニア川柳大 会」を開催。市内の小中学生か ら合計1336句の応募が あった。
「私が感心したのは『やめよ うよ平和のために争いを』とい う句。この子はウクライナや世 界にまで目を向けていて、そう いう子どもたちがいるという ことだけでも感心しました」
授賞式で、作者の松井暖さ んに会った際には「これからも 視野を広げるために、新聞や 図書館の本をたくさん読んで ね。そしてたくさん言葉をひろ げてね」と声をかけたそうだ。
「国語力や読解力は、どの教 科にも通じる」と大田さんは 話す。自身の子どもや孫にも、 積極的に図書館に通わせてい たという。
「読書のお陰で息子は今、学 校の先生をしている。息子が 『お母さんに感謝するのはたっ たひとつ、読書の習慣を付けて くれたこと。ありがとう』と言 われて、やったね、と思ったね」 交流を通じて、子どもたちは もちろん、子育てをしている親 にも本を読む習慣付けの大切 さを伝えている。
川柳で子ども育てる
先述の全国大会「美ら島国 民文化祭 川柳の祭典202 2」では、沖縄から 41 人が入選 した。
このことについて、大田さん は「沖縄も川柳は負けていな い。本土のレベルに達してると 思う」と胸を張る。
今後の目標は、豊見城市を ジュニア川柳の里にすること。
「豊見城市を中心に、未来あ る子どもたちを育てたい。『や めようよ平和のために争いを』 の句を作った松井さんのよう な子の発掘、育成のために、川 柳を通じて地域の子どもたち とこれからも関わっていきた い」と笑顔で話した。
(元澤 一樹)
川柳とみぐすく
場所:豊見城市立中央 公民館2階会議室
日時:毎月第1(土)10:00~12:00
入会希望者は直接会場へお越しください。
写真・村山 望