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[No.2041]

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「表紙」2024年06月20日[No.2041]号

生まれ育った沖縄の色を表現
画家 平良 優季さん

夢は大きく、世界を目指す

 日本画の手法を用い、生まれ育った沖縄の色鮮やかな草木や生き物、人物を 描き出す画家の平良優季さん。独自の色彩感覚あふれる画面を支えるのは、沖縄 県立芸術大学の大学院修士課程在籍中に出合った、寒冷紗という布を使って顔 料の定着・発色を高める技法だ。博士課程では、寒冷紗の歴史と表現の可能性 を研究テーマに選び、県芸の芸術表現研究領域において、初の実技系博士号取 得者となった。その成果を生かし、数々の幻想的な絵画を生み出している。

 「もともとは漫画家になり たいと思っていました」と振り 返る平良さん。暇があったら 漫画の模写をしているような 子どもだった。

 しかし、成長するにつれ「1 枚の画面で、自分で思う想像 の世界を表現するほうが性 に合っている」と考えるように なり、絵の勉強をしたいと思 い始めた。美術コースのある開 邦高校に進学したいと思う も、周囲の声におされ知念高 校へ。なぎなた部に入部し、部 活に明け暮れる毎日を送っ た。

 「いきなり美術の世界に行 くよりは、おのれの精神と肉 体を鍛えに行った感じです」 と苦笑するも、「なぎなた部 に入ったからこそ分かること もあった」と話す。

 高3のインターハイが終わっ てから初めて美術予備校へ。 講習を終えて帰宅する時、周 囲との実力差に涙すること もあったというが、現役で県 芸に合格。画家への道を歩み 始めた。

「自分の色は強烈」

 専攻は日本画。知念高校の 美術教師が美大の日本画科 出身で、作品を見て「日本画 がいいんじゃないの?」と勧め られたからだという。

 鮮やかな色彩が踊る現在 の画風を確立するまでには、 紆余曲折があった。「学部の4 年間は、暗い絵ばっかり描いて いました」。顔料と接着剤が 混ざったチューブ入りの絵の 具を使う油絵や水彩とは異 なり、日本画では、顔料と接 着剤、水を自分で調合しなけ ればならない。接着剤は膠(に かわ)と呼ばれる動物性タン パク質。濃度調節が難しく、し ばしば画面がひび割れてしま い、絵がまともに描けなかっ た。その気持ちが絵に反映さ れていた、と回想する。

 転機は、修士課程の時に、 寒冷紗(かんれいしゃ)と出 合ってから。寒冷紗とは、麻や 綿の繊維を平織りで織った布 だが、画面に張るとひび割れ が起こらなくなり、顔料の定 着と発色もよくなった。

 寒冷紗を用いて制作した 絵が、公募展で入選。東京の 美術館で展示されたが、その 時、県外の作家と比べて「自 分の色は強烈」と気付いた。

 「それまで全然気が付いて なかったんですが、この色味は 自分が生まれ育って見てきた 沖縄の色なんじゃないか、と 思いました」

 平良さんの絵に沖縄のモ チーフが登場するようになっ たのは、それからだ。

 「今まで見てきた風景、人、 生き物を描いたほうが自分 の持っている色彩感覚が生か せるんじゃないかと思って、今 に至ります」

研究の成果を絵に

 博士課程では、寒冷紗が日 本画の画材として使われてき た歴史を研究。県芸の芸術表 現研究領域において、初の実 技系博士号取得者となった。 絵の制作も精力的に続け、 数々の公募展で受賞・入選。 さらに県芸などで講師も務 め、多忙な日々を送っている。

 制作の拠点は沖縄だが、発 表の場は海外に広げていくの が、今後の目標。海外のほう が、日本画という固定観念に とらわれず、もっと自由に絵 を見てもらえるからだとい う。「夢は大きく、みたいな感 じですね」。平良さんが生み 出す絵が、世界の人々を魅了 する日が楽しみだ。

(日平 勝也)



公式サイト
https://www.yuki-taira.com/

画家 平良 優季さん





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画家 平良 優季さん
自作の絵と共に並ぶ画家の平良優季さん。平 良さんは日本画の技法を用い、生まれ育った 沖縄の植物や生き物を色鮮やかに描く。作品 名は左から「薫風(くんぷう)」「ハナウタ」「ハ ナウタ」=週刊レキオ編集室
写真・村山 望
画家 平良 優季さん
花謡
画家 平良 優季さん
箱庭の詩(部分図)
画家 平良 優季さん
ハレウタ
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