「表紙」2025年04月03日[No.2081]号
創刊40周年記念号あのコーナーが復活!
おばぁが笑ってV リターンズ
枝川豊子さん
(95歳、那覇市三原在住)
体内はどこも異常ない。もぉ〜、こっち(公民館)来るとねユンタクヒンタクして。やっぱり変わりますよ。
枝川豊子さん
1985年4月に発刊した週刊レキオ。40周年の記念企画として、90年代の紙面の人気コーナーが復活する。その名も「おばぁが笑ってV リターンズ」。初回の登場は那覇市三原在住の枝川豊子さん(95歳)。おばぁたちの人生の歩みから、沖縄社会の移り変わり、パワフルに生きる知恵を感じてほしい。
那覇市三原の三原公民館。毎月第1・第3・第4水曜日の午前中は、区内の高齢者を対象とした「ふれあいデイサービス」が行われている。利用者たちは体操や歌を楽しむとともに、血圧や脈拍の測定、簡単な問診などを受けることができる。受付をしているのは枝川豊子さん。参加者の中で最年長の95歳だ。大きな声で一人一人の名前を呼び、健康や生活についてもアドバイス。はつらつとして、おしゃれにもぬかりがない豊子さんは、70代、80代のお手本になっているようだ。
生い立ちと子育て
「三高女出てる時はお金も自由自在」
昭和4年に国頭村宜名真で生まれた豊子さん。親戚が当時のバス会社である「新垣平尾バス」の関係者で、戦前は比較的裕福な暮らしだったという。県立第三高等女学校(三高女、現在は名護高校に統合)の1年生だった時に十・十空襲があり「戦争のために全部パー」に。終戦後に辺土名高校に再入学した。家族に負担のかかる再入学は躊躇(ちゅうちょ)したそうだが、母親から「あんた農業できるね? 早く願書出しなさい!」と一喝されたのだとか。
高校卒業後は、教師として働いたが結婚を機に退職した。夫は国頭村比地出身の故・定正(ていしょう)さん(大正12年生まれ)だ。
「厳しい人でしたよ。厳しいなりに、子どもの教育に対する愛は強かった」
そう振り返る豊子さん。定正さんは琉球政府の職員で、復帰後は県庁で活躍した。豊子さんも統計調査員の職を得て、2人で3人の子どもを育て上げた。
健康の秘訣は
家族は定正さんの仕事の関係で引っ越しを繰り返し、県内各地で暮らした経験もあるという。定正さんが本庁勤務となったのをきっかけに、三原に住居を構えた。住み始めた頃の家は木造。区内は舗装されず、あぜ道のような通りも多かったそうだ。
「三原に住んで良かったなあと思いますよ」
そう話す豊子さん。老人会には61歳で入会。その後長年、副会長の役目を果たした。現在は先述のデイサービスの運営協議会である「三原松竹の会」会長を務め20年目。自治会活動への参加、地域の人々とのコミュニケーションが生きがいであり、健康の秘訣にもなっているそうだ。
「体内はどこも異常ない。もぉ〜、こっち(公民館)来るとねユンタクヒンタクして。やっぱり変わりますよ」
そう話す豊子さん。今年は数え年97歳でもあり、カジマヤーの生年祝いも控えている。しかし本人は「97歳になった気分ないですよ」と笑顔を見せてくれた。
(津波 典泰)
「おばぁが笑ってV リターンズ」は週刊レキオ40周年記念企画として、今年度中に複数回にわたり掲載予定(不定期掲載)。次回のおばぁの登場もお楽しみに。

⬛昭和4年(1929年)6月5日、国頭村宜名真生まれ。75歳まで統計調査員として活躍。
2003年には長年の功績が讃えられ藍綬褒章を受賞。孫が8人、ひ孫が12人いる。現在も「自分のことは一切自分で」。好きな言葉は「勇気・忍耐・努力」
写真・津波典泰

