「表紙」2025年03月27日[No.2080]号
海ぶどうの新たな価値を創造
株式会社日本バイオテック 代表取締役社長
山城 由希さん
複合型体験施設で6次産業化に挑む
糸満市真栄里を拠点に、父がゼロから立ち上げた海ぶどう養殖の事業を引き継ぎ、年間45トンを国内および海外14 カ国へ出荷するまでに育てた日本バイオテック 代表取締役社長の山城由希さん。海 ぶどうの養殖を軸に、加工品開発・観光事業などの要素と掛け合わせて新たな付加価値を創造していく姿勢が評価され、昨年11 月に開催された日経ピッチ・グロース沖縄特別大会においてグランプリに 輝き、今年3月、全国の企業が集った決勝大会でオーディエンス賞に選ばれた。
山城さんが営む海ぶどう養殖場は、糸満市真栄里の風光明媚(めいび)な海岸沿いにある。
「海ぶどう農園 海ん道〜うみんち〜」と名付けられた敷地内には、養殖場を取り囲むようにして、自社製品を販売するショップ、直営の沖縄そば店、ゲストハウスやキャンプ場が立ち並ぶ。「海ぶどうつみとり体験」や、金魚すくいの網を使う「海ぶどうすくい体験」といったコンテンツも人気だ。海ぶどうの養殖に、加工品開発、観光・サービスを掛け合わせて付加価値を生み出し、地域とも共生しながら新たな産業として発展させるという山城さんのビジョンを体現した体験型複合施設だ。
ゼロからの出発
養殖事業をスタートした2002年、この場所には何もなかった、と振り返る山城さん。父の山城幸松さん(故人)は那覇市出身。東京で「日本バイオテック」を設立し、空気清浄機サービスの事業を成功させた。県出身であることを生かして物産品店も手掛ける中、海ぶどうに将来性を見いだし、ゼロから手探りで養殖事業に乗り出した。
山城さんは東京で生まれ育ち、慶應義塾大学を卒業後、大手メーカーで勤務していたが「ベンチャー的な生き方のほうが面白い」と海ぶどうの事業に参入。沖縄へ移住し、海ぶどうの養殖・販売から加工品開発まで手掛けるようになった。ヒット商品となった海ぶどうの粒を入れたアイスを商品化したのも山城さんの功績だ。
賞味期限を2年に
だが、道のりは困難の連続だった。家庭では、高1・小2・5歳の3人の娘を育てる山城さん。「海ぶどうの事業は、子育てよりも大変でした。本当にジェットコースターのような感じでしたね」と苦笑いする。
最初はインフラも整っておらず、台風で壊滅という苦い思いも度々味わった。そんな中でも一つ一つ粘り強く事業を積み重ねた。19年には6次産業認定を取得し、台風に耐えられる軽量鉄骨ハウスを設置。100槽を使い、年間を通して県産の苗1品種の養殖が可能となったことも重なり、安定生産へつながった。
安定生産の実現で、歯車がうまく回り始めた。20年にはキャンプ場、海ぶどうすくい体験などの観光事業をスタート。21年にはHACCP対応の出荷場が完成し、22年には就労支援センターとの協業も実現させた。24年には、敷地内に海ぶどうの沖縄そばや卵かけご飯を提供する店が開店するなど、躍進を続ける。
中でも大きな飛躍となったのが、社長に就任した23年に開発した新商品「ふくらむぷちぷち海ぶどう」だ。海ぶどうを濃度を調整した塩水に閉じ込めるという技術を用い、それまで約1週間だった賞味期限 を常温で2年間にまで延長するという快挙を成し遂げた。これにより、今では、海外14カ国に輸出する。
このたび受賞した日経ピッチ・グロースは、スタートアップ企業や会社を受け継ぎ高度化に挑む企業が事業計画を競うコンテスト。父から受け継いだ事業を、さまざまな付加価値を生み出しながら発展させていく山城さんの姿勢が受賞につながった形だ。「父が考えていた海ぶどうを軸とした産業づくりや地域貢献のモデルを作ることで、地域への恩返しができれば」。海ぶどうを地元・糸満市の新たな産業へと育てる 山城さんの挑戦は続く。
(日平 勝也)

写真・村山 望




