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[No.1380]

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「島ネタCHOSA班」2011年09月08日[No.1380]号

グスクの一部は高知県!?

ウオーキングコースである具志頭城跡に「高知県所有地」という表示があります。なぜ歴史ある城跡に他県の所有地があるのか不思議です。調べて下さい。(2011年09月08日掲載)

グスクの一部は高知県!?
(八重瀬町 男性)

 城跡といえば、地域の象徴、顔ですよね。なぜ?高知県有地が。「百聞は一見にしかず」。「具志頭城跡」へ急行。那覇市から南下すること40分余り。サトウキビ畑が広がるのどかな集落を通り抜け、集落のはずれにあるグスクに到着しました。

 小高い丘の一角、グスク特有の石垣が一部残り静粛なたたずまい。最初に飛び込んできたのは、高さ2・余、横5・ほどの礎。去る沖縄戦で亡くなられた地域住民の氏名が刻まれていました。

 礎の脇を抜け、整備された緑地を50mほど進むと、そこから先は断崖で行き止まり。太平洋と東シナ海が広がる絶景。足下に「高知県所有地」と表示された小さな看板を見つけた。

 沖縄戦の激戦地

 看板から左右約100mを柵で仕切られ、2・ほど先は断崖。海を正面に見て、右手には『土佐之塔』が建つ。

 海に向かって広がる原野が「高知県所有地」?城跡を管理する八重瀬町具志頭庁舎(旧具志頭村役場)を訪ねました。対応していただいたのは同町役場企画財政課の宇地原毅さんと下門申吾さん。

 さっそく、調査員の疑問をぶつけました。

 宇地原さんは「南部は沖縄戦の激戦地で、大勢の尊い命が失われました。海岸一帯は『沖縄戦跡国定公園』に指定されています」と丁寧な説明。さらに「同地では高知県出身の兵士千人近くが戦死したといわれています。同県出身戦没者のため、1956年、具志頭村(当時)に『土佐之塔』が建立されました。その場所が村有地(当時)だったのです」。

 さらに宇地原さんは「しかし、その維持管理に不十分な面があったため、『高知県や同県遺族会などが村有地を買い上げ、新しい慰霊塔が建てられた』と記録されています」。

 そうか、慰霊塔を建立するため、村有地を購入したのか。でもどうして断崖が高知県?

 「登記簿には所有権の移転は明記されていますが、なぜあの場所が高知県所有になったのか正直分かりません。戦争当時、グスク周辺の地形が複雑で身を隠す場所に適していたのではないか。そのため米軍の標的になった、と聞いています」。

 具志頭城跡は集落の東南の海岸に付き出た崖の上に築かれたグスクですね。それも影響しているかもしれませんねと、調査員は勝手に解釈。

 宇地原さんは「具志頭城跡には山梨県出身の戦没者を祭る『甲斐の塔』も建立されています」と続けた。

 へっえー、高知県だけでなく山梨県の慰霊塔もあるのですか。

 「具志頭城跡では年3回慰霊祭が行われます。地元と高知県、それと山梨県です。それぞれの慰霊祭には町職員や具志頭小中学校の児童、生徒も参列してみ霊を供養します」と宇地原さん。

 「土佐之塔の慰霊祭には高知県の職員をはじめ、県議会議員、遺族会から大勢の人が参加します」と結んだ。

 姉妹都市交流に発展

 「2006年から高知県香南市と旧具志頭村は職員交流を行ってきました。互いの地域が合併で交流が一時中断していましたが、11年4月から職員交流が復活。現在、半年間の日程で派遣されています」と宇地原さん。

 慰霊の塔の建立が縁で職員交流に発展ですか。

 宇地原さんと下門さんは「職員だけでなく、姉妹都市交流を結び、防災協定も締結しています。物心両面で『良き友人』として良好な関係を築いています」と力説した。

 「また、昨年からは山梨県の身延町にも町内の子ども会のメンバーを派遣しています。計50人弱の小学生が身延町でスキーなどを楽しみ、地元の子どもたちとも交流しました」

 具志頭城跡は十四世紀に具志頭按司が築城したといわれる。当時の具志頭按司は海外貿易を盛んに推進したといわれています。 「土佐之塔」、「甲斐之塔」とも戦争という悲惨な過去が結ぶ縁ですが、同城跡が今後も平和の交流拠点として期待されています。


グスクの一部は高知県!?
高知県の所有地を示す「立て看板」
グスクの一部は高知県!?
高知県出身者の戦没者がねむる「土佐之塔」
グスクの一部は高知県!?
山梨県出身者の戦没者がねむる「甲斐之塔」


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