「島ネタCHOSA班」2012年08月30日[No.1431]号
毎年、旧盆には沖縄市に青年会のエイサーを見に行きます。以前、二つの青年会が旗持ちを出合い頭に、それぞれの曲を激しく踊ってオーラセーしていました。迫力があって感激! あれはどうやって勝負がつくのでしょうか? (那覇市 M・Tさん 2012年08月30日掲載)
「エイサーガーエー」どう勝負?
旧盆ですね。どこからともなく太鼓の音が聞こえてきませんか?
今年もやってきました、エイサーの季節。エイサーといえば本島中部。その中でも大御所、歴史ある沖縄市園田の園田青年会。その拠点である園田公民館に、今回の謎解きに行ってきました。
道の取り合いを対決
毎晩、エイサーの練習をしている最中、同青年会18代目会長の小浜守彦さん(53)と31代目の現会長、比嘉大輝さん(26)を捕まえてお話を伺いました。
まず青年会OBの小浜さん。「エイサーオーラセー」の始まりはどんなものだったのですか?
「オーラセーじゃなくて『ガーエー(闘い)』さ。会長をしていた30年くらい前は、村回りの時に、行き当たりばったり、他シマの青年会とぶつかると、互いにつぶし合いをする。隊列を崩した方が負けで、道をあけるというのが暗黙のルール。本当の意味でガーエーだったよ」
ま、まさか、バチで殴り合ったりしたのではないですよね?
「当たり前さぁ、エイサーで競う一瞬の立ち合い勝負だったからね。先頭の大太鼓が他シマの旗を見つけると相手に向かっていくわけさ。こちらは100人近くの大所帯で、一糸乱れず踊り続ける。向こうは音が混じり合って数秒間でも踊りがストップしてしまったら、もうこちらのモノ。相手を道の両脇にけちらし、ギャラリーにしてしまう快感ったらなかったね」
緊張の瞬間ですね! 観客もガーエーに立ち会えたら、ラッキーでしたね。園田は負けたことはありますか?
「自分の中ではつぶされた記憶がないな。みんな園田の旗を見つけると、ぶつからんようにコースを変えて逃げよったからね」
百戦百勝ですね。その勝因は何だったのでしょうか?
「踊り手一人一人が完璧にエイサーの基礎を体にたたき込んでいたからかな。地謡の音が聞こえなくても演舞のリズムが全く狂わなかった。当時は音響もなくて自分でも歌いながら踊ってたからね。『負ける』ことが許されない、先輩たちの気合が受け継がれていたこともあると思うよ」
調査員もチムフトゥフトゥーしてきました。熱い血のたぎりを感じます。
画期的な園田式音響
音響のない当時、100人ほどの大所帯の同青年会では、先頭の地謡の音が後方まで届きませんでした。そこで、後方の踊り手のことを考えて部隊の前後にスピーカーをアンプにつなぎ、トランスミッターで飛ばすという今のスタイルを考案したそうです。
「今も同じスタイル。他の青年会がまねて今ではおなじみのようだけど、当時は画期的。エイサーマシンと呼んでるよ」
エイサーを見かけたら、ぜひこの台車に乗ったマシンもチェックしてみたいと思います。「音響が良くなってからは出力の良さの勝負になってしまったかもしれないね」と小浜さんがつぶやきました。
では現在のガーエーの楽しみ方を比嘉さんに聞いてみました。
「ガーエーをする場所や時間は、特に決まっている訳ではなくて、その時の状況次第で相手と打ち合わせします。ノリなので。百軒通りや旧道路山根ビル前ですることが多いですね。自分たちもガーエーに挑む時は気合を入れて全身全霊で踊りに集中します。エイサーの闘い、ぶつかり合いなので、少しの油断で持って行かれてしまいますから」
ウークイの日に必ず園田エイサーを見たい人は、どうすればいいですか?
「公民館から『追っかける』といいですよ。始まりと終わりは公民館。全曲通しで舞うので一番見応えがあると思います。特設スタンドも用意されてますよ(笑)」。公民館をぐるりと囲んだお墓の屋根にギャラリーが上って見るという光景が見られそうですね。
さぁ、調査員も太鼓の音を頼りに、コザの街を走りますよ!