「島ネタCHOSA班」2012年09月27日[No.1435]号
友人から牧志駅前のさいおんスクエアにある柳は、国際通りの街路樹が柳だったことに由来すると聞きました。街路樹だったことも初耳ですが、本当なのでしょうか?(宜野湾市Sさん)
さいおんスクエアの柳 由来は?
柳…ふむ。正直に申しますと、どこに植わっているのかすらワタクシ知りません。よし! とりあえず見に行こう! そうしよう!
早速、さいおんスクエアで探してみると、ありました。駅前広場の北東の角に一本だけちょこんと。他の街路樹が二列縦隊で並んでいるのに、こやつだけぽつんとイレギュラーな感じ…。いったいどういうことなのか?果たして国際通りとの関係性は?
銀座が関係!?
那覇市の歴史はここに聞け!ということで訪れたのは那覇市久茂地の那覇市歴史博物館。対応してくれたのは、非常勤学芸員の喜納大作さん。
「国際通りの街路樹が柳だったというのは事実です。銀座から来たようですよ。ただ、それがさいおんスクエアのものとつながるかは、正直、分からないですね」
よ〜しよしよし! まず一つ疑問を解決し…えぇ! 銀座!?
「はい(笑)。資料を調べてみると、1960年に発行された那覇市の広報紙『市民の友』に経緯が載っていまして。それによると、街路樹を植えて街を緑でつつみたいと考えていた当時の兼次佐一市長が、たまたま那覇市が招へいしていた内閣総理府首都整備委員会企画室長の黒田俊雄さんに相談したら、柳が良いのでは? と勧められたようなんです」
ほうほう。そこからどう銀座につながるんですか?
「勧められた兼次市長は、その後、上京した時に、柳で有名な銀座通りの連合会の会長をされておられた保坂幸治さんに苗木を購入したいと相談されたようなんです。それを受けて保坂さんが、だったら寄贈しましょうと尽力なさって、百本の苗木を寄贈してもらい、それを1960年の3月15日に植えたということなんです」
へ〜、兼次市長の情熱と、それに応えてくれた保坂さん。良い話ですねぇ。
頑張ってくださいと笑顔の喜納さんに見送られた調査員。続いて、さいおんスクエアとのつながりを調べようと、管理をしている那覇市おもろまちの株式会社ダイワサービスに突撃してみると、ビル管理営業課の屋良幸史さんから、「修景設計を担当された方を紹介しましょう」と、ありがたいお言葉が!
もう一つの理由
たどり着いたのは、那覇市久茂地の株式会社国建、土木設計部参与の新垣允啓(まさひろ)さん。
「ええ。国際通りの柳が由来ですよ」
おおぉ! やはりそうだったんですね!
「ただ、もう一つ理由があるんです」
へ? もう一つ?
「はい。あの柳の植わっている角から延びている道は市道・安里牧志東線というのですが、旧市道・安里南線を整備、拡幅した道でして、実は、その旧市道も柳が街路樹として植えられていたことから『柳通り』と呼ばれていたんです。それもありまして、あの角にシンボルツリーとして配植したというわけなんです」
ほ〜。なるほど、シンボルですか。
「柳がこのあたりの街路樹の主木だった当時のことは、私もうっすらとしか記憶にないですからね。知らない人は疑問に思われるかもしれないですねぇ(笑)」
知る人ぞ知る、「あのころ」の那覇市街に思いをはせて…皆さん、なかなか粋な理由だと思いませんか?