「島ネタCHOSA班」2012年10月11日[No.1437]号
本島南部で秋にシーミー(清明祭)をしている門中がいると耳にしました。なぜ秋に清明祭をしているのでしょうか?(那覇市 H・Tさん)
500年余続く「隠れ御清明」
秋に門中が集まってシーミーですか?
なにやら沖縄ミステリーの匂いがしますね。暦上、秋に「清明」の節はないので、その門中にまつわる歴史的背景がポイントとなるのではないでしょうか?
まずは歴史的文献がないか探してみましたが、見つからず…。著名な歴史家の先生たちにお伺いしたところ「文献では見たことがない」ということでした。
しかし、劇作家の亀島靖さんから「政権が変わった後、尚氏第一王統の一族が清明祭の時期をずらして行っていたという話を聞いたことがある」という重要情報を伺いました。「第一尚氏」ゆかりの地は南城市佐敷ですね。さらに謎を解明するため、ドキドキしながら調査を進めるのでした。
尚巴志一門が結束固め
実はこの清明祭、「隠れ御清明(カクリウシーミ)」として佐敷上城で尚巴志長男系統の子孫の門中によって行われていることが分かりました! 早速、門中代表の宮城春子さん(75)にお話を伺いました。
宮城さん、「隠れ御清明」はいつ頃始まったのでしょうか?「尚氏第一王統以降ですから500年以上は続いていると思いますよ」。500年以上!! 歴史の重みを感じます。
なぜお彼岸に清明祭をするのですか? 「王統が変わった際、『第一尚氏狩り』のような、前王統の血縁を排除せよというおふれが出され、清明祭で集まっている一門が狙われました。そのため、時期をずらしてひっそりと清明祭をし、御先祖様の前で一族の結束を固め、供養してきたといわれています。ここ100年ほどはお彼岸に一門が集まっていますよ」
琉球を築いた王の子孫を狙うとは、恐ろしい話です。
「当時は名前を変えたり、読谷や国頭に逃げたり、血筋を隠さないと命がなかったので必死だったのです。この風潮は明治時代になるまで続いていたようです」。だから文献に残されていないのですね。歴史の荒波にもまれ現代に流れ着いたようで、感慨深いですね。
「佐敷上城跡に月しろの宮が建てられて、歴代王の8つの位牌(いはい)が祭られています。私が幼い頃は、隠れ御清明には県内各地に散った一門が集まり、ごちそうをささげ、御先祖様に感謝して繁栄を祈り、ウサンデー(供物)をおいしく頂きました。踊りなどの舞台も設けられて、とてもにぎやかでしたよ」
しかし、ここ10年は次世代にうまく伝わらず、集まりが悪くなったと宮城さん。「隠れ御清明」の継続を使命とし、親戚と思われる人に声かけをしています。
血統を隠し静かに祈り
「たまに行きますよ。最近は暑いので、朝や夕方に30分くらい。メイちゃんももう年なのか、あまり散歩に行きたがらなくなりましたね。散歩に出ても、正門前をウロウロするだけの時もありますし。小さい頃はいつも元気で大暴れでしたよ〜。狭い隙間にはまって出られなくなったり、僕と似たような男の人についていこうとしちゃったり、全然目がはなせな かったです」
9月23日の「隠れ御清明」の日。いろいろな人たちが重箱を持って月しろの宮で拝みをしている姿を見掛けましたが、お互いのことは知らない様子でした。ある団体に声をかけてみると、「特に王家というわではなく、先代が昔からお彼岸に参詣していた通りにしています」とのことでした。
これに対し宮城さんは、「血統が隠されたまま伝わっていることが多いんですよ。名前や元家を調べてみると大体は分かりますが、拝みをしている人たちに話かけるのも無礼に当たるので難しいです。拝みは静かに真心をこめて集中するものですから。これを機に心当たりのある一門の方々にはぜひ参加してもらいたいですね」と話していました。
文献も残っていない中、口頭で確かに受け継がれている祈りを目の当たりにし、深い感動を覚えました。しかし、琉球を築いてきた王様の供養が途絶えてしまうのも一大事です。形のない祈りの文化をどのように伝えていくのか、沖縄の大きな課題も感じた調査員でした。