「島ネタCHOSA班」2013年09月05日[No.1483]号
先日、県立博物館の屋外展示場でユニークなシーサーを発見。ダックスフントのような胴長な形がとても印象的で、こんなシーサーは初めて見ました。由来や作者について詳しく知りたいです!
(那覇市 シーサーマニアさん)
海洋博の名シーサー!?
県民の例に漏れず(?)、シーサーが大好きな調査員。調べないわけにはいきません。早速、那覇市おもろまちの県立博物館に直行しました!
すらり胴長で気品漂う
博物館の正面入り口の門をくぐると、琉球の伝統的な民家が再現された中庭が広がっています。琉球家屋を抜けてさらに奥、湧田窯の後ろのスペースに、依頼のあったシーサーを発見。
普通のシーサーのずんぐりむっくりの体形とは異なり、このシーサーは、ほっそりスマート。長く伸びた尻尾までつながる体の曲線がとても優美で、気品が感じられます。うーん、これは確かに由来が気になります!
まずは博物館の学芸員、大湾ゆかりさんにお話を聞きました。
「このシーサーは、もともと1975年から76年に開催された沖縄国際海洋博覧会で展示されていた作品です。海洋博が終わり、いくつかの建物が取り壊された時に、博物館に移されたと聞いています。実は、これまで博物館でも、このシーサーについて、あまり詳しいことが分からなかったのですが、今回、あらためて調査をして、作者とも連絡がとれました」
このユニークな造形は、どんな人が彫ったのでしょうか?
「この像を彫ったのは東京にお住まいの彫刻家、吉野毅(たけし)さん。二科会彫刻部理事、多摩美術大学客員教授も務めています。詳しいことは、吉野さんに電話でお尋ねしてみては?」
やはり一流の彫刻家の手によるものだったのですね。
生みの親と感動の再会
ワクワクしながら吉野さんに電話取材をしました。吉野さん、あのシーサーのことを覚えていますか?
「あのシーサーは、確かに私の作品です。海洋博の開催前に、住友館を設計した日建設計という会社から依頼を受けて作りました。当時は住友館の壁面、11mくらいの高さの半円柱の上に設置されていたんです。シーサーの形は、海洋博ということで、海洋民族が乗る丸木船を意識しました。船のフォルムをもとにシーサーをデザインできないかと意図したものです」
あの独特の形にはそんなイメージがこめられていたのですね。制作の様子はどうでしたか?
「はじめに石膏模型を作り、それから現物の四分の一のFRP(繊維強化プラスチック)製の原型を作りました。それを沖縄の石彫業者に渡して拡大をお願いしたのですが、慣れていないようで作業の進行が遅れ気味となり、納期の問題もあったので、私が直接、石を専門に彫っている後輩と一カ月かけて彫りました」
そんな苦労があったんですね。素材は粟石という巨大な琉球石灰岩の塊。はじめ6tくらいあったのが、彫った後は3tくらいになったと吉野さんは懐かしそうに話します。
「完成して柱の上に取り付ける時、尾が壁に当たって壊れないかヒヤヒヤしたのを思い出します。シーサーを作ったのも初めてで、制作にあたり民家の屋根に乗っているシーサーを見て回ったのですが、いろいろな形があり、本当に楽しかったです」
吉野さんにとっても、思い出の深い作品というわけですね。
「ところが、海洋博の閉会後、このシーサーがどうなったか私には分からなくなっていました。もともと、住友館は取り壊さないという前提だったのですが、それがある時壊されてしまったんです。
それから彫刻がどうなったか、ずっと気がかりだったのですが、今回、博物館から連絡があり、ようやく作品の無事を知ることができ、ほっとしました。建物を解体する時に、3tもの重さのシーサーを、壊さないように11mの高さから下ろして、大切に保管してもらったことは、作った者からすると、本当にうれしいことですよ。これはぜひ声を大にして言っておきたいですね」
今回の調査では、シーサーの生みの親との思わぬ再会に、ただただ感動するばかり。作者の吉野さんに無事を伝えたいというシーサーの思いが通じたのしょうか?
取材を終え、カメラのシャッターに収めたシーサーの顔が、満足げにほほえんでいるように感じられた調査員でした。